この世で生きていくためにはお金が必要だ。だけどお金があれば何をしても許されるわけじゃない。キリスト教の世界ではお金を扱うことは卑しいことと看做されてきたし、儒教が盛んだった江戸時代は士農工商という身分制度でお金を扱う商人の身分は一番低かった。お金儲けの達人だったユダヤ人がどこへいっても嫌われたのは、彼らの歩いた後にはぺんぺん草も生えなくなってしまうからだ。
誰だって魂をお金で売るなんて卑しいことは出来ないと、心の隅では思っているのだろうが、どこの国でも欲のない人はいないから、金や宝石、お金を手段にしてユダヤ人は生きてきた。そしてついに、ユダヤ人たちは世界の富を自在に動かす資本主義の頂点に立ち世界を動かすようになった。今や世の中がすっかりユダヤの拝金思想に染められてしまっているから、お金が世界を動かしていることに誰も疑問を持たない。
資本主義というのは、お金を出し合って会社を作り、出し合ったお金に応じて利益を分配するというのが本来の投資のシステムだが、株価の上下を投機の対象にして稼ぐ邪道が人気になっている。株価だけではない。石油や為替などありとあらゆるものが投機の対象となって、実体経済の数十倍か、数百倍のお金が世界を駆け巡る。資本主義はもはや行き着くところまできてしまった観がある。
ライブドアの事件など大きな視点で見れば些細なことでしかないが、今の世の中の拝金主義を見るにつけ、起きるべくして起きた事件なのだろうね。上から下々に至るまで欲に目が血走っている。誇りを失くしてまで銭を追うのかよ、日本人。