ひとりごと、ぶつぶつ

第40話 分岐点

商用で東北の或る小都市を訪れた帰りの出来事であった。列車の時間に余裕が出来たので、私は駅前の商店街をぶらつくことにした。お目当ては骨董品店である。地方に出掛ける楽しみの一つが、東京にいてはなかなか見つけることの出来ない埋もれているお宝に巡り会うことである。

お目当ての店は賑やかで派出やかなアーケイドの端のほうでひっそりと営業していた。ここもまた、そうなのだが、この類の店は目立たないのが似合っている。私は表のショーウインドウに並んだ古美術を一通り見定めると、アンティークな飾り絵の描かれたガラス戸を開けて中に入る。香の香りがぷーんと鼻をつく。骨董好きにとって何とも言えない一瞬である。

ショーウインドウや目立つところに置いてあるようなものは一般受けのするようなものが多い。一応審美眼には年季をかけてきたつもりであるから、ひっそりと何気なく置いてあるようなものが気になる。この時も仕入れたばかりで、まだ鑑定も済んでいないように積まれていた古いメトロノームが目に止まった。銀細工が素晴らしい。手に取ってぜんまいを少し巻いてみる。針をはずす。ゆったりとリズムが刻まれる。その時だった。

「お目がお高うございますねえ」という低くて太い男の声が後ろから聞こえた。私が「いつ頃のものでしょうねえ?」と尋ねつつ店主の顔を振りかえった瞬間、二人の間の時間は止まり逆行を始めた。店にあった古時計という古時計もみな針を逆に回したに違いない。30数年前のあの日に向かって。あの瞬間に向かって。

私はマウンドに立っていた。県予選の決勝戦だ。9回裏、走者は1、3塁、アウトカウントはツーアウト、後一つで試合終了だった。スコアは3対2で1点差ながらリードしていた。このバッターを打ち取れば甲子園へ行ける。私はエースとして連戦連投、たしかに疲れてはいた。それもこれで終りだ。あと一人だ、あと一球だと思って渾身の力を込めて投げていた。そして、あの忘れられない最後の一球を投げた。打った。平凡な打球はふらふらと力なく右翼の上空に舞い上がった。ライトはオーライというように右手を高く上げて落下点へ入った。その時、誰もが勝った、試合終了、これで甲子園だと思ったに違いない。しかし無情にもボールは外野手のグラブの土手に当たってライト線を転がっていた。逆転サヨナラ負けだった。二人とも何度も何度も打ち消した思いだしたくない苦い思い出が鮮やかに蘇ってきていた。ライトを守っていたのが、今、目の前にいるSだったのだ。

凍りついた時間の中を手に持った古びたメトロノームだけが正確にリズムを刻んでいた。

すっかり口の中が乾いたような声で「お久し振りです。・・・長いこと・・・ご無沙汰してしまって・・・お元気そうで・・・。」突然のことで明かに動揺しているのだが、落ち付いているかのように、やけにゆっくりとした動作で入り口の鍵を下ろし「閉店」の札をかけてから、奥の部屋のドアを開けて入るように促した。私はと言えば、やはり興奮したのだろうか、上ずった声で店の雰囲気を褒めたり、なぜ骨董品に興味を持ったのかなどと意味もないことをひとしきり喋った後、ようやく落ち付いてから「君も元気そうじゃないか・・・。」と言うのがせいぜいだった。

同級会や野球部のOB会にも一度も出席したことはない。卒業後、家族ごと引っ越してしまって音信不通、それ以来の再会だった。Sはお茶をいれながら、あれから今までのことをぼそぼそと話してくれた。誰に非難された訳ではないけれど、あの土地に住んでいれば、野球の話題になれば、いいや、話題を避けられること自体に耐えられなくて結局は別の土地へ移ったこと。いろいろな職業に就いたけれど、結婚もして子供たちも大きくなり幸せに暮らしていること。子供たちも野球が好きで、休日には少年野球を教えていることなど。

「遠い遠い昔のことなのに・・・すっかり忘れていたはずなのに。」とSは力なく笑った。「思い出させてしまって悪かったな。」と私。メンバーをみんな集めておくから一度帰郷するようにとSに約束させて店を後にした。みんなSのことはずっと気にかけていたのだ。

帰りの列車の中でもSのことばかり考えていた。Sとは心を許せる少ない親友のつもりだった。親にも相談出来ないこともSには話せた。Sはレギュラーメンバーではなかったが、人一倍練習熱心だったし守備は抜群だったから、1点リードした8回裏から守備固めとして監督は起用したのだろう。あんなイージーフライをミスったことを見たことがない。確率的には何千何万回に一回起きるようなものが偶然あの時巡ってきたのだろう。

人は皆、自分の人生を自分で選択していると信じている。一瞬一瞬の選択の積み重ねが、その人の一生を形作るものだと信ずる。Sはあの時確かに自らの意思で捕球しようとしたに違いないのだ。捕球するよう選択したのに失敗した。結果はどうであれ、あの一瞬が人生のターニングポイントになったのだ。何故なのだ?捕球出来ていれば、おそらく今の人生とは全く違った進路があったはずである。運命というより宿命と言うほか無い。「分岐点」終

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第40話 分岐点_b0034892_15532810.jpg

秋色に染まる恋人たち 13
by 892sun | 2007-12-02 15:54
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この世の仕組み、本当の生き方はもう分かりましたか?地球は次元が変わります。準備は整っていますか?心霊研究家のつぶやきに耳を傾けてください。

by 892sun
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