ひとりごと、ぶつぶつ

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国会議員たるものは。

昔話をしていたら、いつの間にか、こっそり自民党に復党して恥とも思わない議員が11人。

町の為を考えるのが町会議員、区民の為を考えるのが区会議員、都の為に働くのが都議会議員であるからにして、国の為、日本の為と言う大所高所から全てのものごとを考えたり、行動したりしなくてはいけないのが国会議員であるはずなのですが、自民党に戻りたい一心で、始末書まで書かされても、それを恥とも思わず復党したあの連中はなんですかね。

いずれこうなることを計算した上で、郵政民営化に反対したんですかね。その時は反対したほうが票になると計算し、今度は復党したほうが選挙や政治資金を得るために有利だからという理由では、政治家というよりは政治屋と言われても仕方がない。復党したほうが選挙民のためになるだって、冗談じゃないよ。国会議員だろ。自分の為と何故言わぬ。国の為にならぬなどという思いはさらさらない。

もし自民党が過半数割れて野党になっていたら、こんな復党騒ぎはなかったに違いない。与党だから復党したほうが得になると判断したのだろう。功名ケ辻を見ていても分かるけれど、勝ち馬に乗ったから山内家は安泰だったわけだが、政治家を目指したからには損得の判断も大切には違いないが、もう少し信念を持って行動しないと下々の者たちもみんな右に倣えとなる。

郵政民営化は間違いですよ。選挙では自民党が勝ったけれど、今ごろになって民営化は間違いだと気付いた人も大勢いる。その正しさを主張したのだから最後まで主張し続けて欲しいものです。いやしくも国会議員の地位まで上り詰めた人間なのだから、それぐらいの信念は次の選挙まで持ち続けて下さいよ。
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by 892sun | 2006-11-30 18:29

アニメーション撮影、その2.

スティールのカメラに較べて映画のカメラはとてつもなく大きくて重いのです。400フィートマガジンを付けたら、40~50キロはある鉄の塊のようなカメラを、直径15センチほどの2本のパイプとチェーンで3メートルほどの高さに吊り上げて、その真下に両側からライティングした撮影素材を一こまずつ撮っていくのです。フィックスと呼ばれる、ただセル画を取り替えるだけの単純なものから、カメラワークがあったり、特殊効果を付けるために、一度撮ったものを巻き戻して、二重、三重の露出をかけるものまでいろいろです。

テレビ漫画の仕事はハードなスケジュールで撮影料が安いことと、いつまでたっても、うだつが上がらないので、なんとかしたいと思っていた私は、コマーシャルの仕事やアニメ作家の自主作品などを手がけて、次第に名前を売っていきました。そんな頃、スーパーマンのタイトルを見たのです。日本でもやってみたいと思った私は、すぐにアメリカへ飛んで、それに適したカメラを探し、コンピュータの専門家に依頼してプログラムを作ってもらいました。街ではスターウォーズが封切られて話題になっていました。

スーパーマンのタイトルは専門用語で、ストリークといいます。1コマを撮る間、シャッターを開けておいてカメラワークをしてしまいます。カメラワークのタイミングや素材の位置を1コマ毎に少しずつずらせて撮っていくと、あのようなタイトルが出来ます。これにはどうしてもコンピュータ制御が必要なのです。もちろん部屋は暗黒にして、バックライトのみの撮影です。分かり易くいえば、花火の撮影をズーミングしながら撮るのに似ていますが、一枚のタイトル素材を使って花火を作り出してしまうようなものです。

しかし、何でも最初から作るというのは辛いもので、参考になるものがありませんから、試行錯誤の連続、作っては壊し、また作るといった作業が続きました。プログラムも同じことでした。なけなしの貯金も底をつきました。思い立ってから3年ほど経っていました。完全とは言えないまでもなんとか、それらしきシステムは出来上がったのですが、もう個人の資金力では持ちこたえられなくなっていました。一時は持て囃やされた特殊撮影でしたが、時代はアナログからデジタルの時代へと移り変わっていきました。

あれほど執着していた撮影の仕事を整理してリタイヤしてしまった理由は他にもありますが、ここには書きません。30年近くアニメーションに関わってきました。一流の仕事がしたいといつも思っていました。一流のアニメーターとも仕事が出来ました。成功はしなかったけれど、誰もやらなかったことにも挑戦できました。誰も知り合いもいない東京に一人で出てきてよくやったとは思っています。アニメなんて、あの頃はマイナーな仕事と思われていたのでしたが、今や日本のアニメーションも世界的な評価を得るようになったのは、とても嬉しいことです。
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以前撮った上野動物園でのスナップです。
by 892sun | 2006-11-29 16:47

アニメーション撮影

昨日の続きの昔話です。写真が好きで、好きで、好きな写真が仕事になればこんな幸せなことはないと考えた私でしたが、夢だけを抱えて上京しても現実は厳しいものでした。写真学校を出たわけじゃないし、有名な先生にコネがあるわけじゃない。数年間は食うや食わずの生活、何ども転職しながら、やっとめぐり合ったのがアニメーションの撮影助手でした。アニメーションは映画の中の一分野ですから、スティール写真とは全然違うけれど、撮影であることには違いないし、有難いことに給料制だった。

白雪姫のアニメーションを小学生の時、学校から全員で見に行った記憶があります。すでに綺麗なカラーフィルムで撮影されていて感動しましたが、こんな国と戦争したのが馬鹿でした。日本ではまだどこもカラーフィルムなんて作っていなかった時代に、アメリカではイーストマン・コダックがカラーフィルムを作っていた。アニメーションという言葉は”命を吹き込む”というような意味だそうですが、ウオルト・ディズニーは1秒24コマのフルアニメーションでまさに、絵画に命を吹き込んでいた。

私の最初に出会ったアニメーション用カメラも、もちろん模造品で、本家ミッチェルの名を取ってドイ・ミッチェルといいました。土井製作所が作ったからドイ・ミッチェルです。模造品でも堂々としてるところがいい。元は実写(ライブアクション)用のカメラですが、駆動モーターをストップモーション・モーターに付け替えて1コマ撮りが出来るようにして使います。アニメーションのカメラとしては、他にアクメとか、オクスベリーとかありましたが、本家の新品は1千万を越すほど高価でしたから、とても買えなかった時代の話です。

写真の下地はありましたから、助手から撮影技師になるのは早くて、22歳頃にはもうプロダクションに所属して撮影していました。最初の作品は「赤き血のイレブン」というサッカーの根性ものでした。次に移ったのは、竜の子プロの下請けの撮影スタジオで、ここで「ハクション大魔王」「いなかっぺ大将」「かばとっと」。竜の子の下請けですから、たまに「ガッチャマン」「みなしごハッチ」などの手伝い。次のプロダクションでは「月光仮面」「アストロガンガー」

TVカツーンと言われるテレビアニメはスケジュールがきつくて、徹夜ばかりです。それで、次第に嫌気がさして、テレビコマーシャルの撮影に比重を移します。アニメ作家の自主作品の撮影を引き受けるようになったのもこの頃でした。「メイドインジャパン」はニューヨークで行われたアニメフェスですが、ここでこの作品はグランプリをとりました。私はスチールを担当しただけですが、良い思い出です。「ピカドン」をご覧になった方はいらっしゃいませんか?これも同じ作家の作品ですが撮影を担当したのは私ですから私の作品でもあります。

アメリカ映画「スーパーマン」の第1作目のメインタイトルを知っている方はいるでしょうか?あのタイトルを見て、私は衝撃を受けました。最初、コンピュータグラフィクスだろうと思っていたのですが、調べるうちに、そうではなくてフィルムでの撮影でした。自分でも同じ撮影をしてみたいと、勉強を始めました。NECのパーソナルコンピュータPC8800が発売された頃の話です。あのタイトルはアニメーションスタンドの駆動部分にモーターをつけて、コンピュータ制御して撮ることが分かったのです。私の苦闘が始まりました。長くなりましたので、続きは明日また(笑)
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by 892sun | 2006-11-28 18:38

銀塩写真、その2

懐かしい話を始めたので、その続きを書きます。今でこそ日本は世界に誇る精密機械産業がありますが、戦後、焼け野原の中の小さな町工場で作られ始めた時計やカメラは全部外国の模倣品でした。本物は目の玉が飛び出るくらい高かったのに、手先の器用な日本人は、本物そっくりに、しかも安く作ったのですから、売れたのです。現在の中国のやっていることを、その頃の日本もやっていたのです。

日本でもロールフィルムが発売されました。富士(フジフィルム)からはネオパンS、小西六(コニカミノルタ)からはコニパンSです。asa感度は50しかありませんでした。カメラメーカーも大小雨後のたけのこのようにいっぱい出来ました。タレントの大橋巨泉氏の生家も墨田区の町工場でオオハシフレックスというカメラを作っていたことは、後に知りました。観音カメラという35ミリのライカの模倣品を作っていたのは、後のキャノンです。軍艦で使う大砲の照準器を作っていたのは日本光学で、当初はレンズ専門メーカーでしたが、やはり当時ドイツでライカのライバルだったコンタックスの模倣品からニコンとして売り出しました。66版のブローニーフィルムを使うローライフレックスの模倣品もいろいろなメーカーが競い合って売り出していました。昨日書いた理研光学(リコー)もそのうちの一つです。

昭和20年代、当時まだ小学生だった私は、なぜかカメラに興味があったのですが、田舎の村でしたから写真機などというものを持っている人さえめぐり合えず、5円で出せたはがきをせっせとメーカーに送ってカタログを取り寄せるカメラ羨望オタクになっていました。新製品が出るたびにはがきを出していましたから、カタログだけでも数百以上相当な数になっていたと思います。それを出しては眺め、性能を比較して、いつの日かきっと手に入れようと思っていたのです。

日本製品の素晴らしいのは、模倣から始めても、いつしか本家を凌ぐほどの製品を作り出してしまうことです。日本光学のニッコールレンズの優秀さを最初に認めたのは、世界を飛び回ってニュース写真を撮ってライフなどに提供していた世界的な写真集団「マグナム」でした。ロバート・キャパの所属していた集団といえば知っている人もいるでしょう。それまでは、ドイツのカール・ツアイスのレンズが最も信頼されていましたが、ニッコールはそれを凌ぐとさえ言われたのです。軍艦の照準器を作ってきた技術、すなわち解像力重視の設計が認められたのです。ちなみに、カール・ツアイスの設計理念はコントラスト重視です。撮るものによって好みが別れるところです。

昭和30年代後半になってニコンFが発売されました。それまでも35ミリサイズの1眼レフはアサヒフレックス(後のペンタックス)などありましたが、ニコンFはプロの要求にも充分応えられるだけの堅牢性もスペックをもっていました。なにしろライカなどのレンジファインダーのカメラに較べて、パララックス(見える範囲と写る範囲の誤差)がないという画期的な要素を持っていましたし、解像力抜群のニッコールレンズが使えるとあって、瞬く間に世界を席巻したのです。

その後の映画の大半のカメラマン役が大抵ニコンFを使っているのを見ています。私も長い間ニコン党でした。とても使い安くて、故障するということがありませんでした。今はどのカメラにもICがふんだんに使われていますから、壊れたら手の施しようがありません。その代わり、露出計も付いていませんでしたし、オートフォカスもありませんでしたし、フィルムは一こま一こま手で巻き上げました。その後、ニコンFもF2になり、さらに進化を続けているようですが、あのカメラとは較べようもありません。
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by 892sun | 2006-11-27 16:52

銀塩写真。

今はカメラも性能が良くなって、シャッターを押すだけで大抵のものは写すことが出来ます。どうしたら撮れるかではなくて、何を撮るか、どう表現するかの感性の勝負がプロとアマチュアの差だと言えますが、私がカメラに興味を持った頃はまだ撮影することが出来るということは一つの技術でしたから、雑誌などで活躍するカメラマンは別にして、写真を撮ることを職業としている人は撮影技師と呼ばれていました。

私が最初に自分のカメラとして持ったのは理研光学が発売していた二眼レフレックスの廉価版のカメラでリコーフレックス・ホリデーといいました。忘れもしません、4、900円也でしたが、その4900円がなくて、どうしたかという話は、以前、ショートショートに書きましたので読んでください。フィクションの部分もありますが、おおむね事実です。

カメラの語源はカメラオブスキュラとかいうラテン語で暗箱という意味だそうですが、初期のカメラはずばり暗箱そのものにレンズを付けて、ピントグラスと蛇腹の間に臭化銀を塗った板を挿入出来るようになっただけのしろものでした。その板が硝子になり透明なセルロイドになりました。35ミリサイズのライカというカメラがドイツで開発され、それにともなってロールフィルムが使われるようになってから、急激に普及するようになりました。今でも大判の4x5(シノゴ)とか8x10(エイトバイテン)のビューカメラや写真館で使われているアンソニーというでかいカメラを見たことはあると思います。シンプルで暗箱そのものです。ポケットに入るような小さなカメラも原理は同じです。

ピントグラスに映る逆像を見ながらフォーカスを合わせ、露出の組み合わせも自分で決めなければなりません。リコーフレックスもまさにその通りでしたから、明るさに応じた撮影条件が変わるたびに、シャッターと絞りの組み合わせを考えたものでした。もちろん、露出計というものも販売はされていましたが、カメラを買うのがぎりぎりでしたから、そんなもの買えるわけがない。でも窮すれば通ずで、カメラを持っていない時でも、適性露出を考える癖がついて、失敗を重ねるうちに上達していきました。

信じられないでしょうが、その頃はまだ、カラー写真というものはとても高価で、プリントにも時間がかかりましたので、あまり普及はしていませんでした。それよりも、自分の撮った写真を、モノクロームでしたが、暗室で現像したり、プリントしたりすることがとても楽しくて時間の経つのも忘れて没頭したものです。暗室の中の酢酸のすっぱい臭いが懐かしく思い出されます。

今は何もかもデジタル化されていますが、一部の愛好家の中にはまだ銀塩写真に拘っている人たちもいるようですね。もちろんデジタルの良さも認めますが、ほとんどアナログの時代を過ごしてきた私たちの年代には、あまりに移り変わりの速いデジタルの時代には戸惑いも感じているのです。
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by 892sun | 2006-11-26 15:07

陽射しを浴びて。

歳を取ると疲れも後になってどっと出るようで、今頃になって体中が痛くなってブログ書かなくてはと思いつつ、横になっていました。今朝になって、やっと戻ってきたようなので、天気もいいことだしと、久しぶりにカメラを持ち出して、自転車で和田堀公園まで出かけてみました。ここは都内でも珍しく湧き水があって、川蝉などもやってくるのでカメラマンも多いのですが、たまに行って撮れるわけもありません。

私の狙いは、いっぱいに赤い実をつけた木にひよどりが啄ばむ姿だったのです。先日、実がいっぱい成っているのは確認済みだったのですが、葉がまだいっぱいあって姿が隠れてしまうので、落葉を待っていたのです。今日行ってみると、残念ながら落葉はまだなのに、木の実が全部食べられてしまって見当たりません。これでは絵になりませんので、諦めました。

仕方がないので、公園で遊んでいる子供たちに焦点を合わせてみました。秋の木漏れ日を浴びながら遊んでいる親子の楽しいひとときは時間が止まっているようにも見えます。ホームページのマイ ヒーリング ギャラリーの更新もしました。覗いてみてください。
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by 892sun | 2006-11-25 14:06

引っ越しました。

やっと引越しが終わりました。引越しそのものは、昨日の朝8時半から始めて、1時間ほどでトラックに積み込み、場所も近くですから、また、1時間ほどで降ろして10時半には終わってしまったのですが、荷物を纏めるのに相当なエネルギーを使い、また移った部屋での整理に今までかかりました。まだ完全じゃないけど、なんとか生活するのに困らないようにはなりました。引越しって本当にエネルギーを遣いますね。病み上がりにはきつい。疲れました。

インターネットも電話も今日の午前中にはもう繋がりました。今度の大家さんは、インターネットの使用料とテレビの衛星放送の視聴料を半額負担してくださるので、今までの8メガから30メガのプレミアムで契約しました。テレビはあまりみないけど、ついでだからテレビも契約しました。先ほど計測してみましたら、18メガほどでした。夕方ですから、昼間だったらもっと速くなっていると思います。速いのは気分がいいですね。今日は疲れたので、これからお風呂に入ってテレビを見て、もう寝ます。
by 892sun | 2006-11-22 19:17

愛国心について考える。

サンデー毎日になってしまった私には、日曜日だからとて、どってことありませんが、せっかくのお休みだった方はこんな天気でがっかりですね。それでも午前中はなんとか持ちこたえていた泣きそうだった空も、我慢の限界を越したようでぽつりぽつりと降りだしてきました。こんな天気では外へも行かれませんので、今日は教育基本法案改正について私なりの考えを書いてみます。いくら読んでも良くは分からないのですが、何故か政府が改正にしゃかりきになっているところをみると、毎度お馴染み、無知な民を自分たちの都合に合わせていくような陰謀の臭いがぷんぷんする。

頭が悪いので、どこをどう変えるのか、いくら読んでみても良く分かりませんが、どうやら愛国心という言葉がキーワードになっているようなので、この言葉について考えてみました。なにも法律で決めなくたって日本人なら日本を愛しているでしょう。国歌を歌いたくない人、国旗を掲揚したくない人、愛していないと思っている人は文句言ってないで、とっととこの国から出ていけばよろしい。今更アベさんに言われなくても、巡る四季のなかで育まれた国土も美しいし、伝統文化も他の国に較べてひけを取るとは思えない。オリンピックや国別対抗戦があれば間違いなく日本チームを応援するし、海外で活躍する日本人も応援してる。これが、ほとんどの日本人の姿でしょう。それなのに、何故今更、愛国心?

話、ガラリと変わりますが、私は自立心が旺盛で、向上志向が強い(出世欲じゃありませんよ、意識レベルの向上という意味です)のと関係があるのかどうか分かりませんが、組織というものが嫌いです。人間は弱いですから、一人で問題を解決するより組織、団体を作ってことにあたれば、大抵どんな問題もカタがつくのですが、この組織というものは、作るときより解散するときのほうがエネルギーを費やすぐらいに解散するのが難しい。最初にあった問題が解決したのだったら、即解散すればいいものを、組織の力をまざまざと知ってしまった者たちは、組織存続にエネルギーを使い出す。宗教組織しかり、業界団体しかりです。何故、私がそうした組織が嫌いかと言うと、そうして出来上がった組織は、組織を構成している一人一人のためだとかを大義名分として、組織の運営者や組織自体の利益のため、いわゆる組織エゴが一人歩きするようになっていくのがほとんどだからです。

日本国というのも日本人で構成された人間的組織です。日本に生まれたからには、この組織から逃れるわけにはいきません。もちろん私は日本が好きですから逃げる必要はないし、逃げないで、この組織を運営している人たちに対して声を上げていきたいと思っています。何故今更、この国の為政者たちが法律を書き換えてまで、愛国心などという言葉を振り回すのかを考えてみたとき、それはきっと、自分たちが国民から愛されていないこと、むしろ私利私欲のためなら国も売るし、信念でもへちまでも曲げる卑しさに、国民から軽蔑の眼差しで見られていることにやっと気がついたからではないでしょうか。自分たちは日本国を代表しているのだから、国を愛するように法律に書けば、きっと自分たちが愛されていることになるとでも思ったのでしょう。そうじゃなくて、日本国の代表になれたのは、みんな池田さんのお陰ですから愛国心など言わず、創価学会を愛さなくてはいけない法律とか、信濃町に足を向けて寝てはいけない法律とか作ったらどうですかね。

日本は民主国家です。主権在民です。しかし、このシステムは民がきちんと勉強して賢くならなければ、ただのアホ国家です。すでに60年ほど平和が続いたものだから、ほとんどの国民はボケてしまって、今や国家が崩壊の危機の瀕しているのに、危機感がない。選挙にも行かないからパラサイトのような宗教団体が組織ぐるみで投票行動を起こすと、その結果で体勢が決まってしまう。電通の言う通りに、マスコミ巻き込んでワンフレーズコピーを繰り返していれば、かっこいいと思われて、売国行為に加担しているとも知らず盛り上がる。騙されやすくて、本当に始末に負えないアホ国民ですが、馬鹿ほど可愛いっていうじゃありませんか、私、好きですよ。愛してます。日本国。
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by 892sun | 2006-11-19 14:43

だいぶ楽になってきました。

各地から紅葉の便りが届きますが、東京の秋は遅くて、なかなか紅葉しません。私の散歩コースの善福寺川緑地公園では、銀杏ももみじもまだ青々としています。日当たりの良いところの楓が部分的に色付いてきました。欅は黄色から茶色になるので、あまり綺麗な色ではありません。ユリノキがまっ黄色になってきました。全体を見回すと緑と黄色と茶色、赤などが入り混じってカラフルにはなってきました。温度は一雨毎に寒くなってきているので、これからは益々秋も深まっていくのでしょう。

私の体のことを心配してくださっている方々もいらっしゃいますので、今日はその後の病状について報告します。早いもので退院してから、もう一ヶ月になります。体を起こしたり横になったりしたときにあった痛みも薄れてきました。今は、普段の行動の中では痛みを感じなくなってきました。左腕に力を入れたりすると痛みを感じたり、まだ咳やくしゃみをしたりすると痛いですが、以前よりずっと楽になってきましたので、この痛みもそのうちなくなると思います。

ちょっと心配なのは、入院中は低かった血圧がまた上昇し始めたことです。患部を切除したのですから、血圧も正常になってもいいと思われますが、どうも高血圧は体質のようで、また降圧剤を飲まなければいけなくなるのでしょうか。手術したとき、輸血をしたり、血液が固まらないような薬を使ったと聞いていますので、その成分が時間が経つごとに、自分で作った血液と入れ替わっていくので、血圧も高くなるのでしょうか。今月30日には、また診察を受けますの聞いてみようと思っています。

心拍数は相変わらず多くて、一分間に100回ほどです。普通の人ならば、ちょっと運動した後の心拍数ですから、これで運動したり、お酒を飲んだりしたら確実にパンクしそうで、お風呂に入るのも恐る恐るといったところです。散歩もゆっくりゆっくりですから、これからの人生を示唆しているようで可笑しい。
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by 892sun | 2006-11-17 14:11

いじめとしての症状。

何処かに、僅かでもいいから希望の灯りが見えてこないものかと、いつも思っているのですが、残念ながら、世界も日本もどんどん深い闇の中へ落ちていっているような気がしています。夜明け前の闇が一番深いと聞きました。これほど深い闇なのだから、間もなく夜は明けるに違いないと自分に言い聞かせながら生きているのに、まだまだ暗くなる余地があるらしい。

いじめっ子なんて昔からいたし、いじめなんていつもあったけど、それで自殺した子は今ほど多くはなかったと思う。私も弱虫だったから、いつもいじめられて仲間はずれにされて泣いて帰ってきていた。私の場合は泣くことでストレス発散していたようで、なにかあればすぐ大声で泣いて泣いて泣き喚いて泣き疲れて、気がつくと何で泣いていたのか忘れていたりした。死んで、いじめた奴に後悔させてやりたいとも、よく思ったけど、未だに生きているのだから、実行はしなかったらしい。だいたいが、些細なことで、その場限りのことをいつまでも根に持つようなこともなかったし、いじめる奴も次に合ったときはもう忘れていて、何事もなかったように遊んでいたような気がする。高校生になっても番長とか呼ばれる存在はいて、しょっちゅう喧嘩をしていたらしいけれど、それはつっぱり相手ばかりで、真面目に勉強していた私のような者には手を出さなかった。

あの頃のいじめと、今のいじめとどう違うのだろうか?あの頃と今とどう違うのだろうか?私が子供時代を過ごしたのは、戦後まもなくの昭和20年代ですから、日本は焼け野原で何もないところから這い上がろうとしていた時代です。お互いが助け合わなければ生きていけない時代でした。貧しくて学校にお弁当を持って来れない子もいて、お昼時間になるといなくなるので、どうしてかなと思っていましたが、その謎は後年解けました。だったらもっと優しくしてあげれば良かったのにと思っても、それこそ後の祭りです。それでいじめるなんてとても考えることさえ出来ない。

あの頃に較べたら、日本という国自体は、他の国と比較しても、とても豊かで恵まれた国になったと思いますが、昔よりずっと自殺する人が増えています。年間の自殺者が3万人を超してから久しい。経済的には豊かになったのに反比例して、心は貧しく、精神的には弱くなってしまったのでしょうか?私が常々思っていることに、貧しいときの悩みはお金で解決出来ることが多いけれど、お金持ちの悩みはお金では解決出来ないことのほうが多い。というのがあります。イエスも金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴をくぐるより難しいとも言っています。戦後の貧しさを克服するために一生懸命働いて、確かに経済的には豊かになったけれど、その代償がこの結果では余りにも悲しい。

戦後60年の間に、昔からずっと受け継がれてきた、日本人の日本人としてのアイデンティティーが失われてしまいました。強きを挫き、弱きを助ける人なんていなくなりました。日本全国小早川秀秋、日本全国寄らば大樹の陰、日本全国風見鶏、日本全国勝ち馬に乗りたがる人ばかりで、体制批判とか、反骨精神なんて持っているだけでバカにされる時代ですから、力の強い子が弱い者いじめをしていても誰も知らん顔、先生に相談しても、先生はそんなことに構っていられないぐらい忙しい。いじめる奴も自分より弱い者をいじめる。寄ってたかっていじめる。しつこくいじめる。これじゃ、弱い子はたまりません。親も先生も体制寄り、強い者寄りで生きてきているから、子供たちもそれを見て育つ。弱い者への労わり、思いやりなんて言葉を身をもって教えたことはあるのでしょうか。

日本人よ、今、日本は崩壊しかかっているとは思いませんか?日本人の精神的崩壊が、一番弱い子供たちに現れているような気がします。病気になるときも、体の一番弱い部分から症状が現れるのです。これほどまでに弱くなってしまった日本人の精神。愛国心を教える前に、かつて日本人がどのようにして生きてきたのか学び直す必要を感じます。日本人の心根がどのようなものだったのか、もう一度振り返る必要があります。そうでなければ、まだまだ日本は深い闇の底をめざして沈んでいくように思います。
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by 892sun | 2006-11-15 16:39



この世の仕組み、本当の生き方はもう分かりましたか?地球は次元が変わります。準備は整っていますか?心霊研究家のつぶやきに耳を傾けてください。
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