ひとりごと、ぶつぶつ

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燕、すっごーい。

巨人、開幕3連敗…ヤクルト・福川が満塁ホームラン(読売新聞 - 03月30日 16:46)

 ヤクルト10-2巨人(セ・リーグ=30日)--ヤクルトが6年ぶりの開幕3連勝。六回に押し出し四球で勝ち越し、七回には福川の満塁本塁打で突き放した。 巨人はリリーフが総崩れで、3年ぶりの開幕3連敗。

にっくき虚人は、開幕間に合わず、もたもたしています。どうせ戦力が整えば、恐ろしいチームに変身するだろうから、今のうちに叩いて、叩いて、立ち上がれないぐらいにしておきましょう。燕エライ。後は、ドラちゃんも連勝、お願いネ。
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by 892sun | 2008-03-30 20:18

痛快、痛快!!

セリーグもやっと始まりましたね。今年は、戦力的にはナベツネ・ジャイアンツがぶっちぎりで優勝するというのが、私の予想ですが、非力なスワローズでも試合展開によっては巨人を小男が倒すことも出来る。その典型のような試合が開幕試合で見られたのは、嬉しい限りです。

我がドラゴンズも、7番に森野が入ってるような重厚な打線と、セ界一の投手力ですから、むざむざと虚人にやられっぱなしということはないだろうけど、昨日の試合を見てる限りでは、みんな力が入り過ぎ。もっと繋ぐ野球をしないと、大男は倒せない。開幕で気合入り過ぎたのか。

高田燕、開幕巨倒で初勝利!ラミ&グラ奪われた恨み晴らした(サンケイスポーツ - 03月29日 08:03)
7104日ぶりの勝利。高田監督は満面の笑みでナインを迎えた
 (セ・リーグ、ヤクルト6-2巨人、1回戦、ヤクルト1勝、28日、神宮)プロ野球は28日、セ・リーグが開幕し、ナイター3試合が行われた。球場改修で両翼が広がった神宮では新生高田ヤクルトが、遺恨ムードたっぷりの巨人との開幕戦に6-2と快勝。監督として7104日ぶりの勝利を手にした高田繁監督(62)は、29日の第2戦に先発予定のグライシンガー攻略にも意欲をのぞかせた。

 高田監督が満面の笑みを浮かべて、ベンチを飛び出す。痛快なG倒で08年の神宮劇場が幕を開けた。

 「ウチにとっては最高の展開だった。ラミレスに打たれてちょっと嫌なムードになったけど、嫌らしい攻撃ができた」

 エースと4番を奪われた。復讐(ふくしゅう)カード、遺恨カードともいわれる今季の巨人戦。リーグ王者にまずはひと泡吹かせた。古巣相手の会心の勝利。夫人もスタンドから見つめる中、バンザイでファンの声援に応えた。日本ハム監督時代の88年10月15日の西武戦以来、実に7104日ぶりの勝利だ。

 二回、元4番のラミレスの一発が怒りの導火線に火をつけた。直後の攻撃で川島慶の適時打などで4点。移籍後初安打が貴重な追加点となった川島は「ヒットが出て本当にうれしい」。四回には二盗を決め、続く田中浩の左翼線適時二塁打でホームを駆け抜けた。昨年まで高田監督がGMを務めていた日本ハムからトレード移籍した“チルドレン”が役割を果たした。

 足でラミレスに復讐した。二回の田中浩の左前打で一走・川島慶が一気に三塁へ。五回二死二塁、飯原の左前打で「いつも相手に(腕を)ブンブン回されていた」と振り返った宮本が迷うことなく本塁に突入。ラミレスの弱点につけ込んだ。

 「一年間、いいときもあれば、悪いときもある。とにかく一生懸命やろう。全力でプレーするのはいつでもできる」

 高田監督は試合前の“出陣式”で、選手にそう語りかけた。明大時代の恩師、島岡吉郎総監督(享年77)の精神野球が源流にある。全力疾走、守り勝つスタイルの継承はもちろん、クラブハウスの全面禁煙など私生活の改善という島岡流の手法も採用。規律に厳しくなかったチームカラーも変えようとしている。

 元4番への復讐だけでは気が済まない。29日は元エースのグライシンガーが先発予定だ。「まだひと泡だけ。なんとかまた一つとりたい。(野球は)うちのようなチームでも勝てるから、面白い」と高田監督。昨年21年ぶりの最下位からの下克上。試合後にウイニングボールをプレゼントされたが、この1個だけでは満足しない。
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by 892sun | 2008-03-29 10:19

去勢された国家

自分自身のことはどうなろうが、成る様にしかならないと、ほとんど無関心に過ごしてきているが、これからの日本のことや世界のことを思うと、あまりにも無関心な人が多くて、つい愚痴りたくなる。あまり吼えると、血圧降下剤も効かなくなりそうだから、ほどほどにしたいとは思っています。でもやはり最近の日本人は去勢されてしまったかのように、何があってもおとなしい。怒りをどこかへ忘れてきてしまったのか。ほどほどの豊かさと引き換えに、魂を売り渡してしまったのだろう。

戦後の焼け野原から立ち上がってきた日本人の心はまだ純粋で、岸信介が安保条約を結ぼうとした頃には、学生たちが立ち上がりデモが繰り返された。死んだ女学生もいた。当時、私は中学生だったが、こんな条約が結ばれたらと過激な詩を書いていた。アメリカの要求があからさまになってきたのは、田中角栄を失脚させたロッキード事件で、それ以後の日本の政治家は全員、何をするにもアメリカの意向を聞き入れ、顔色を窺うようになった。

自家用車だの住宅だのと、目の前に吊り下げられた人参欲しさに、日本人はよく働いたが、貯めたはずのドルはアメリカに還元されるルートが出来ていた。紙切れを印刷して世界中にばらまいていい思いをしたのはアメリカ人ばかりで、日本人は働き蜂。マスコミは洗脳の為の道具だった。真実を伝える代わりに、お笑いタレントを集めた白痴番組ばかりが朝から晩まで流され、何も考えることの出来ない人間が大量に作られる。テレビゲームと現実の区別さえ付かない人間さえも出てきて不思議ではない。

勝ち組として、波に乗れた経済的余裕のある親は、子供をいい学校に入れて、官僚にでもする気だろう。役所へ行って、新聞に目を通すのが仕事で、どんなヘマをしても首にもならず、責任も取らされず、時が来れば天下りをく繰り返して退職すれば何億も転がり込んでくるというのだから、こんなラクなことはない。

普通の感覚で考えれば、1000億も出して作った銀行が儲からなくて失敗だってことになれば、提案者は責任を取るものでしょう。それが居直って、もう400億出せと言ってきたというのに、どうして、ノーと言えないのか。よその国なら暴動が起きても可笑しくない。何故怒らないのだろう、こんなに穏やかなのだろう。中国で平和の祭典であるオリンピックなんて開いていいのだろうか。外務大臣はチベットについてコメントさえ出せない。中国は隣国ですよ。隣国で人権が脅かされているのに、見なかったふりをする国、日本。

世界中で気象異常が起きて、食料の輸出していた国が禁輸に動き出しているのに、まだお金さえ出せば輸入出来ると誰もが思っているらしい。本当に困った時に、頼りになるのはお金じゃないよ。

参考までに・・・
藤原直哉の「日本と世界にひとこと」2008年3月25日ついに商品市況暴落

ワールドレポート
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by 892sun | 2008-03-27 18:14

こうなったのも、みんな国民がアホやから

天下り先に国が12兆6047億円、事業発注や補助金交付(読売新聞 - 03月26日 00:05)

 国家公務員の再就職先となった特殊法人や独立行政法人などに対し、国が2006年度、事業の発注や補助金交付などで計12兆6047億円を支出したことが明らかになった。

 衆院内閣委員会の要請を受け、衆院調査局が各省庁や最高裁判所など国の24機関の再就職と契約状況を調査したもので、民主党の長妻昭政調会長代理が25日の同党代議士会で公表した。

 調査によると、再就職先となった法人は計4696で、国の支出は1法人平均26億円、再就職者1人当たり4億円だった。国の支出の内訳は、事業の発注などの契約は5兆7805億円、補助金は6兆8173億円だった。契約の98・3%は随意契約だった。転載終わり***

こんなことで、今更驚いてどーなる。今までも、もうずっとこうしてきたのに、騙されていることに気が付かないで、こんなシステムを支持してきたんじゃないの。40年間、選挙を棄権したことはないけど、いつも結果にはがっかりだった。みんな国民がアホだからだ。もっと国民が政治や官僚のシステムに関心を示せば、すぐ分かることなのに。

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by 892sun | 2008-03-26 18:42

カメラ壊れた

デジタルカメラは電子精密機器の最たるものですから、水には弱いことは知っていたのに、水かけちゃって、すぐ拭いたけど、もうスイッチが入らない。すぐに新宿三井ビルにあるキャノンのサービスセンターに駆け込んだが、修理するより新しく買っていただいたほうが、お安くつきます、と丁寧に断られてしまった。外見はどう見ても変わらないので、悔しくて、ビスを全部はずして分解しようとしたが、外れない。どうやら接着してあるのだね。

昔のアナログカメラだったら、オーバーホールすれば治ったのに、デジタルカメラの弱点は水だね。こんなに水に弱いのなら、多分ターミネーターをやっつけるのだって、映画のように苦労しなくたって、水道のホースがあれば、こっちの勝に違いない。

私の愛用機は、小さくてもレンズ交換が出来る一眼レフとしては一番安い、キャノンのデジタルキッスです。実にタイミング良く、X2が新発売、なつめちゃんの散歩代で稼いだお金を集めて、よどばしカメラへ行って来ました。でも在庫切れで、予約だけして、ライオンのお父さんが子供にキッスと言ってカメラ構えてるカタログだけ貰って、とぼとぼ帰ってきました。

暫くは、前に使っていたデジキスNを使います。ほらこんなに良く獲れる。
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by 892sun | 2008-03-25 15:59

日銀総裁空席

日銀総裁が決まらないまま、副総裁が代行する事態となったが、田中 宇氏が面白い説を述べています。言われてみれば、確かにそうかもしれないが、最終的には総裁なんていてもいなくても日本を巻き込んでしまうような気がするなあ。なにしろ最後の悪あがきだから、何をするか分かりません。田中氏のメルマガ一部転載します。

▼「今後は強い円が日本の国益に合う」

 日本政府は、日銀総裁を4月上旬まで空席にすることにしたが、この戦略は正しい。米金融界は今後4月前半にかけて崩壊していくだろうから、ちょうどその時に、日本は日銀総裁がいない状態だ。前回も書いたように、これは米政府から米国債の大量購入を頼まれるのを防ぐため、福田首相と小沢民主党党首が談合して日銀総裁を決められない状態にした疑いがある。敗戦以来、日本政府は、アメリカから強く頼まれたことは断れない状態にある。「日銀総裁が空席なので、決められません」「野党が反対してますので、できません」と言うぐらいが最大の戦略である。

 日本のマスコミは、日米欧で協調してドルを支えねばならない時に日銀総裁がいないのは福田政権の失策だ、という論調だが、これは国賊的な間違いである。米政府自身がドルを下落させている時に日本などが買い支えても、一時しのぎ以上の効果はなく、結局買った米国債やドルが下がり、日本人の税金が無駄遣いされるだけだ。

 EUの中央銀行(ECB)は「米連銀は自らの失策の結果、金融崩壊を激化させているのだから、ECBが連銀に協力して利下げする必要などない」と傍観する姿勢をとっている。日本政府も、同じ気持ちだろう。対米従属の日本は、EUと同様の露骨さでアメリカを批判できないので、代わりに日銀総裁空席作戦などで、米からの要請の回避を目論んでいるのだろう。
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by 892sun | 2008-03-24 18:41

DAISY

デージーのワークショップからただ今帰ってきました。DAISYとは、音からはひなぎくですが、Digital Accessible Information Systemの略で、日本ではアクセシブルな情報システムと訳されるそうですが、分かりやすくいえば、電子出版の世界基準です。昨年から、マイミクさんたちと、イギリスの三大霊訓を始めとするスピリチュアリズム関連本の点訳、音訳のグループ、スピリチュアル点訳文庫、通称スピ点を始めたのです。デージーがいいことは分かっていたので、デージー図書の作製を目差していたのですが、なにしろ素人ばかりの集まりですから、分からないことだらけで、試行錯誤でなかなか前へ進めませんでした。そこへ、このワークショップの情報、藁をも掴む気持ちで臨みました。

知りたかったことは、朗読したファイルをいかにしてデージー編集するかでしたが、残念ながら、このワークショップでは、デージーをもっと広い視野から展開した内容になっていて、視覚障害者のみならず、ディスレクシアやADHD,自閉症、精神障害、知的障害、肢体不自由などプリント ディスアビリティーと呼ばれる人たちのために活用、提供される教材を目差して、考えられた規格であることを知りました。

世界中の人たちが、同じ基準で、そうした人たちのためのソフトを開発しています。再生ソフトや製作ソフト、特にマルチメディアと呼ばれる、文字と音声や画像がシンクロして聞くことが出来るソフトなど実際に使ってみました。これからの出版は、こうしてどんな障害があっても、あるからこそ、健常者以上に学ぶことを支援する体制の必要性を感じました。活字は読むという固定概念から脱却して、聞いたり触ったり出来る時代がそこまで来ていることを実感しました。

来年には製作ソフトのワークショップも計画しているそうです。是非参加して、スピ点独自のマルチメディア教材の製作もしてみたくなりました。久しぶりに充実した二日間でした。頑張らなくっちゃ!!

主催してくれた(財)日本障害者リハビリテーション協会 情報センターDAISYコンソーシアムにリンクを貼っておきますので、興味のある方はアクセスしてみてください。
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by 892sun | 2008-03-23 20:35

いいもの見せてもらいました。

今日と明日の予定でデージーのワークショップに参加しています。デージーについては明日の日記で詳しく書きます。このワークショップの場所は早稲田の日本障害者協会の建物で、外山サンライズといいますが、初めて訪れる所なので、早めに家を出たら、40分ほどで着いてしまいました。一階の通路で写真と書が展示されていました。日本全国から寄せられた、障害者の作品です。見るともなく見ていて、感動で胸がいっぱいになりました。

写真については、私も一言いいたい人ですから、言いたいのをぐっとこらえて拝見しましたが、書については、ただ無条件で感動したとしか言いようがありません。自作の詩や一文字だけを叩きつけるように書いたものや、いろいろでした。決して上手くはないのに(もちろん上手い方もありましたが)、素晴らしいのです。エネルギーがほと走っているのです。改めて書の素晴らしさを思い知りました。これだけでも、ここに来た価値がありましたが、ワークショップでもいろいろな発見がありました。それは明日書きます。
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by 892sun | 2008-03-22 20:45

類魂論

再生について述べる場合は、この類魂という概念を避けて通るわけにはいきません。今までの、どの宗教でも触れていませんし、スピリチュアリズムの三大霊訓の中にも説明がありません。唯一マイヤースの通信の中で述べられているだけなのですが、再生に関する他の霊訓と矛盾するところがないばかりでなく、最も納得がゆくので、私はこの類魂論を支持しています。

この概念を知ることにより、再生に際して意識生命体全体が再生するのではなく、一つの側面が新たな体験を求めて生まれてくることが分かります。(部分再生説)また、この言葉には二つの意味があります。一つは個として自立する前の、人間以外の多くの生物が所属するグループを類魂と呼びます。例えば、人間の魂に一番近いといわれる犬は、どれほど利口でも死後は、暫くは愛された飼い主と共に、過ごしますが、飼い主の霊性進化につれて自ら犬の類魂の中へ戻っていきます。

もう一つがマイヤースの言うところの霊的親族ともいえる類魂説です。簡単に説明すれば、私たちの魂は、大小(百とも千とも)さまざまな霊系統を同じくするグループに所属していて、何度か再生した後、カルマを超越したような状態になったとき、類魂に所属する他のメンバーの体験を交互に自らのものとすることが出来るといものです。故に無限に再生はしないとするのです。

ジェラルディン・カミンズ著「マイヤースの通信・永遠の大道」から六章、類魂を転載する。

霊的意識の集団
類魂は、見方によっては単数でもあり、複数でもある。一個の高級霊が複数の霊を一つにまとめているのである。脳の中に幾つかの中枢があるように、霊的生活においても、一個の統括霊によって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分を右の高級霊から貰うのである。

地上時代の私もある一つの類魂団に属していた。が、自分以外の類魂とその全てを養う統括霊ーこれらは根に相当すると考えればよいーは超物質の世界にいた。霊的進化の実相を理解せんとする者はぜひともこの類魂の原理を研究し、また理解しなくてはいけない。これによって、例えば従来の再生説だけでは説明のつかない難問の多くが見事に片付く。

私はこの説を決して安直にに述べているわけではない。例えば人間が生をうけるのは、前世での罪の代価を払うためであるというのは、ある意味では真実である。が、その前世とは、自分の生涯といえると同時に自分の生涯ではないともいえる。つまり前世とは自分と同じ霊系の魂の一つが、私が誕生する以前に地上で送った生涯をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえているのである。

現在私が居住している超物質界には無限に近いほどの生活状態があるので、私はただ私の知っている限りのことしか述べられない。断じて誤っていないとは言わないが、大体これから述べることを一つの定理と考えていただきたい。

さて、ソウルマンとなると大部分は二度と地上に戻りたいとは思わない。が、彼らを統括している霊は幾度でも地上生活を求める。そして、その統括霊が類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において互いに反応しあい、刺激しあうのである。従って私が霊的祖先という時、それは肉体上の祖先のことではなく、そうした一個の霊によって私と結びついている類魂の先輩たちのことをいうのである。

一個の統括霊の中に含まれる魂の数は二十の場合もあれば百の場合もあり、また千の場合もあり、その数は一定しない。ただ仏教でいうところの宿業(カルマ)は確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなく、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の一つが残していった型のことをさすことがある。

同様に私も、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことになる。かくして我々は、いずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界で生活している他の霊的仲間たちからの影響を受け合うのである。

仏教が唱道する再生輪廻説、すなわち何ども地上生活を繰り返すという説明は、半面の真理しか述べていない。この半面の真理というのは、往々にして完全な誤謬よりも悪影響を及ぼすことがある。私自身は二度と地上に現れることはないであろう。が、自分と同系の他の魂は、私がかって地上でこしらえたカルマの中へ入ることになる。ただし、私がカルマという用語を用いる時、それは従来のカルマと同じものではない。私は私としての王国を持っている。が、それすら大きな連邦の一単位に過ぎないのである。

こう述べると、中にはソウルマンにとっても一回の地上生活では十分ではないのではないかと言う人がいるかもしれない。が、こちらで進化を遂げると、同一の霊系の魂の記憶と経験の中へ入り込むことが出来るようになるのである。私はこの類魂説が一般的通則として規定さるべきであるとは言わない。が、私の知る限り、私の経験した限りにおいて、断じて正しいと信じる。

この私論ーそう呼ぶ人が多分いると思うーは、天才のケースに適用した時に極めて興味深い。我々以前に地上に出現した魂は精神的にも道徳的にも、当然、我々に何らかの影響を与えるに相違ない。従ってある特殊な類魂の内部で、ある特殊な能力、例えば音楽的才能が連続的に開拓されたら、最後にはその特殊な能力が地上の代表者に顕著に現れるはずである。即ち幾つかの前世中に蓄積sれた傾向が驚くべき無意識の情報となって、一人の地上の代表者の所有物となるのである。

我々は、この死後の世界へ来て霊的に向上していくにつれて、次第にこの類魂の存在を自覚するようになる。そして遂には個人的存在に別れを告げて類魂の中に没入し、仲間たちの経験までも我が物としてしまう。ということは、結局人間の存在には二つの面があると理解していただきたいのである。即ち一つは形態に宿っての客観的存在であり、もう一つはる遺恨の一員としての主観的存在である。

地上の人間は私のこの類魂説をすぐには受け入れてくれないかも知れない。多分死後においての不変の独立性に憧れるか、あるいは神の大生命の中に一種の精神的気絶を遂げたいと思うであろう。が、私の類魂説にはその二つの要素が含まれている。即ち我々は立派な個性をもった存在であり続けると同時に、全体の中の不可欠の一員でもあり続けるのである。

私のいう色彩界、とくに次の光焔界まで進んでくると、全体としての内面的な協調の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。”存在”の意義がここに来て一段と深まり、そして強くなる。また、ここにきて初めて地上生活では免れない自己中心性、つまり自分の物的生命を維持するために絶え間なく他の物的生命を破壊して行かねばならないという、地上的必要悪から完全に解脱する。

類魂の真相が分かり始めるのは色彩界に到達してからで、そこから一大変革を遂げることになる。各自は一歩一歩に経験の性質、精神の威力を探りはじめる。その際、もしも彼がソウルマンであれば、時としてとんでもない過ちを犯す危険性がある。類魂たちの知的ならびに情緒的経験に通暁して行くうちに、時として類魂中のある部分に作りつけの雛型に逢着することがある。うっかりすると彼はその雛型にはまりこんでしまい、幾千年にもわたって一歩も歩みだせなくなることがあるのである。

右の雛型というのは地上生活中に作り上げられた宗教的信条といった類のもので、例えば狂信的仏教徒や敬虔このうえないキリスト教徒が地上時代の信仰の轍にはまりこんでしまう。そこではおそらく同系統の仲間も同じ教説によって足枷をはめられていることだろう。一歩も向上しないまま、キリスト教的な夢想や仏教的な幻想がこしらえた想念や記憶の中に留まり続けるのである。言うなればタコの蝕手にひっかかったようなものであろう。そのタコが地上でこしらえた死後に関する想念であり宇宙観なのである。

そうした境涯が進歩を阻害することは理解できるであろう。別の譬えで言えば、それは一種の”知的さなぎ”のようなもので、そこでは過去の地上での考えのままの生活が延々と営まれている。向上の道にある者が客観的にその境涯を考察するのは結構であり必要でもあろう。しかし断じてその中に引きずり込まれたり、狭い牢獄に閉じ込められたりしてはならない。

同じくマイヤースの通信「個人的存在の彼方」より、第4章再生(生まれ変わり)

  地上での動物的本能の赴くままに生きた人間が、こんどは知的ないし情緒的生活を体験するために再び地上へ戻ってくることは、これは紛れもない事実である。言いかえれば、私のいう「肉の人」はまず間違いなく再生する。
 
私のいう「魂の人」の中にも再生という手段を選ぶ者がいないわけではない。が、いわゆる輪廻転生というのは、機械的なくり返しではない。一個の霊が機械が回転するごとくに「生」と「死」をくり返したという例証を私は知らない。100回も200回も地上に戻ってくるなどということは、まず考えられないことである。その説は明らかに間違っている。
 
もちろん原始的人間の中には、向上心、つまり動物的段階から抜け出ようとする欲求がなかなか芽生えない者がいるであろうし、そういう人間は例外的に何度も何度も再生をくり返すかも知れない。が、大部分の人間は、2回から3回、せいぜい4回くらいなものである。
 
もっとも、中には特殊な使命または因縁があって、8回も9回も地上へ戻ってくる場合もないではない。従っていい加減な数字を言うわけにはいかないが、断言できることは、人間という形態で50回も100回も、あるいはそれ以上も地上をうろつくというようなことは絶対にない。
 
こう言うと、たった2回や3回の地上生活では十分な経験は得られないのではないか、とおっしゃる方がいるかも知れない。が、その不足を補うための配慮がちゃんと用意されているのである。
 
乞食・道化師・王様・詩人・母親・軍人――以上は無数に存在する生活形態の中から、種類と性質のまったく異なるものを無雑作に拾いあげてみたのであるが、注目すべきことは、この6人とも五感を使っているという点においては同じであること、言い換えれば人間生活の基本である喜怒哀楽の体験においては、まったく同じ条件下にあり、ただ肉体器官の特徴とリズムがその表現を変えているにすぎないということである。
 
そうは言っても、たとえ彼らが地上生活を6回くり返したとしても、人間的体験としてはほんの一部分しか体験できないことは確かである。苦労したといってもたかが知れている。 人情の機微に触れたといっても、あるいは豁然大悟したといっても、その程度は知れたものである。人間の意識の全範囲、人間的感覚のすべてに通暁するなどということは、まずできない相談だと言ってよい。それなのに私は敢えて、地上生活の体験を十分に身につけるまでは(特殊な例外を除いては)死後において高い界層には住むことは望めない、と言うのである。
 
その矛盾を説くのが、私のいう類魂の原理である。われわれは、そうした無数の地上的体験と知識とを身につけるために、わざわざ地上に戻ってくる必要はない。他の類魂が集積した体験と知識とを我がものとすることができるのである。
 
誰にでも大勢の仲間がおり、それらが旅した過去があり、今旅している現在があり、そして、これから旅する未来がある。類魂の人生はまさしく「旅」である。私自身はかつて一度も黄色人種としての地上体験を持たないが、私の属する類魂の中には東洋で生活した者が何人かおり、私はその生活の中の行為と喜怒哀楽を、実際と同じように体験することができるのである。
 
その中には仏教の僧侶だったものもいれば、アメリカ人の商人だった者もおり、イタリア人の画家だった者もいる。その仲間たちの体験を私がうまく吸収すれば、わざわざ地上へ降りて生活する必要はないのである。
 
こうした類魂という「より大きな自分」の中に入って見ると、意志と精神と感性とがいかに威力を増すものであるかが分かってくる。自意識と根本的性格は少しも失われていない。それでいて、性格と霊力とが飛躍的に大きくなっている。幾世紀にもわたる先輩たちの叡知を、肉体という牢獄の中における「疾風怒濤」の地上生活によってではなく、肌の色こそ違え、同じ地上で生活した霊的仲間たちの体験の中から、愛という吸引力によって我がものとすることができるのである。
 
不幸にして不具の肉体をもって生まれたとすれば、それは前世において何らかの重大な過ちを犯し、それを償うには、そうした身体に宿るのがいちばん効果的であるとの判断があったと解釈すべきである。

再生には定まった型というものはない。一人ひとりみな異なる。死後の生活においては、誰しも地上生活を振り返って、その意義を深く吟味する時期が必ず訪れる。原始的人間であれば、それが知性ではなくて本能によって、つまり一種の情感的思考によって行なわれ、魂の深奥が鼓舞される。その時、類魂を統一しているスピリットが、再び地上に戻るようにとの考えを吹き込む。といって、強制はしない。あくまでも本人に選択の自由が残されている。が、スピリットは進化にとってもっとも効果的な道を示唆し、個々の類魂も大抵の場合それに従うことになる。
 
初めて地上に生まれてくる霊の場合は特別の保護が必要なので、類魂との霊的関係がとくに密接となり、その結果、直接の管理に当たる霊(守護霊)のカルマが強く作用することになる。その霊はたぶん3回ないし4回の地上生活を体験していることであろう。が、まだ完全に浄化しきってはいない。言い換えれば、霊的進化にとって必要な物的体験のすべてを吸収しきってはいない。そこで、その不足を補うためには次の2つの方法が考えられる。
 
1つは、さきほど紹介した、類魂の記憶の中に入っていく方法。もう1つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂とともに地上生活を送る方法である。後者の場合、地上の類魂は言わば「創造的再生」の産物である。言ってみれば、自分の前世の生き証人であり、これによって霊的に一段と成長する。
 
霊とは創造的理解力の中枢である。が、中にはその力が乏しくて、どうしても創造主の心の中に入りこむことができない者がいる。そんな時、類魂を統一しているスピリットは、永遠不滅の超越界へ入る資格なしとみて、今一度、始めからのやり直しを命じる。  が、それまでの旅路で得たものは何一つ無駄にならないし、何一つ失われることはない。すべての記憶、すべての体験は類魂の中にあずけられ、仲間の活用に供されるのである。
 
私は確信をもって言うが、私のいう「霊の人」のうちある者は、たった1回きりしか物質界を体験しない。また私の考えでは、イエスはエリアの再生ではない。他の何者の再生でもない。イエスは神の意志の直接の表現、すなわち、言葉が肉となったのである。イエスはたった一度だけ地上に降りて、そして一気に父なる神のもとに帰って行った。イエスにとって途中の段階的進化の旅は無用だった。そこにイエスの神性の秘密が存在する。

引用終わり


さて、一つ注意しておきたいのは、最近ではソウルメイトという言葉をよく聞きます。ブライアン・ワイスの著書で使われたのがきっかけだと思います。このソウルメイトと類魂を同一視しないようにしてください。過去生のどこかでで関わりを持った人をソウルメイトと呼びますが、メイトであくまで友人です。類魂とは親族なのです。

冒頭で類魂論を説いたのは唯一マイヤースだけと述べましたが、実は日本人で類魂論を述べた方、小山順司氏がいらっしゃいますので、これを機会に紹介しておきます。マイヤースの類魂論を補足した形になっていますが、非常に難解で、私自身はまだ理解できていません。小山氏はもうお亡くなりになりましたが、生前、日本心霊科学協会の機関紙「心霊研究」に発表された論文が、同じく会員の川崎久美子氏のサイトに彼女の解説として全文掲載されていますので、リンクしておきます。さらに詳しく勉強してみたいかたは参考にしてみてください。
小山順司氏による類魂論・川崎久美子氏の解説
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by 892sun | 2008-03-20 11:32

再生について

スピリチュアリズムでは、この世は、魂を成長させるための学校とか、人生の修行の場とか規定します。学校が小学校低学年から大学院まであるように、一度の人生では、全ての体験と学びが出来ませんので、何度かの生まれ変わりを繰り返しながら、魂の完成を目差します。英語では、リバースとか、リインカーネーションといいます。母の日のカーネーションの原種は肉色だったようで、カーネイトとは肉のこと、Reは再びで、inは入る、再び肉に入る、すなわち再生ということのようです。

最初は宇宙の一介の塵にすぎなかった意識のかけらは、長い長い霊性進化の旅を経て、一人の人間の肉体に宿り、初めて個としてのパーソナリティーを得たことになります。この永遠のパーソナリティーをインディヴィデュアリティーといいます。大霊と同質の火花のようなものですが、未完成ですから、この霊的個性を完全な形にすることが、人生の目的でもあります。この霊的個性が出来たとき、大霊との絆も結ばれるのです。この絆はいかなることがあっても切れることはありませんので、たとえ大罪を犯しても人間以外の生物への生まれ変わりはありません。

ゆえに、この世には初めて人間としての個を得た若い魂もあれば、すでに何ども再生を繰り返してきたような、老成した魂もあります。未熟な若い魂と霊性の高い魂が入り混じって、助けたり助け合ったりしてお互いを切磋琢磨しながら成長していきます。あの世は階層社会になっていて、成長レベルの同じ者が一緒の世界で暮らしますが、この世ではレベルの違った者が一緒に暮らすことが特長です。若い魂は、物質的な波動に合わせようとしますから、即物的で自己中心主義です。怖いもの知らずですから、失敗も多いのですが、まずは体験することが大切ですから、いろいろなことに勇気を持って挑戦します。

そして、夢中に生きている間に第一回目の人生は終了します。人生なんてあっという間です。死ぬと自分の人生が全部映し出される映像を、自分の指導霊と一緒に見ることになります。死んでも、死後の世界での身体を持っていますから、自分が死んだことが納得出来ない人も多いそうですが、時間が経つにつれて、やはり物質世界との違いや、生きている筈のない人物などに説得されて、自分も死んでいることに気がつくのです。こうしたオリエンテーションやら反省会などを経て、自分の犯した間違いに気付いたり、やらねばならない目的を思い出したりして、次の人生を選ぶ作業に入るのです。子は親を選んで生まれてくるというか、環境を選ぶのは、こうした理由からです。

前の人生から再生までの期間は、一定ではありません。事故死なでの場合は早いようですが、それでも数十年後のようです。スペースシャトルの事故で死んだインドの女性が数ヵ月後に再生したというニュースがありましたが、特別だと思います。再生に際して、前の人生の記憶はありません。再生するのは、霊的個性の別の側面だからです。過去生の記憶は潜在意識の奥深くしまいこまれてしまい、全く覚えていないほうが、また新しいまっさらの気持ちで一から始めるには都合がよいのです。記憶はありませんが、前よりは多少霊的には成長していますから、前世で播いた種を刈り取ったり、新しい目的を持ったりして、再び体験の世界での修行を始めるのです。

こうして、何度か再生を繰り返しますが、魂の年齢ともいえる霊性の成長度は、一つの人生にも似ていて、幼年期、青年期、壮年期、老年期の特長に当てはめても面白いかもしれません。人生で一番仕事が出来るのは青年期、壮年期ですから、そうした魂の年齢の人が、この世的には成功するのだろうとおもいます。政治家や実業家として成功する魂は、やはりそうした年齢の魂ですから、幼年期や老年期の魂ではないということです。

さてでは、何回ぐらい再生を繰り返すと、霊的に完成し、もう生まれてこなくなるのでしょうか?仏教では六道を無限に繰り返すと説いていますが、初期SPRの会長を務めたフレデリック・マイヤースが死後、送ってきた霊界通信によれば、平均3.4回と言っています。私は、他の文献も調べてみて、もう少し多いのではないかと思っていますが、10回も20回もということはなさそうです。ほんの数回の地上体験で霊的個性の側面が、全て埋められるというのは驚異ですが、それには、私たち全ての魂は類魂というグループに属しているからだと、マイヤースは伝えてきています。

類魂については、また別の機会に詳しく述べますが、霊的な親族のことで、スピリチュアリズムでは、血縁よりもこちらの霊的な繋がりを重視します。長くなりましたので、今日はここまで。
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by 892sun | 2008-03-17 12:34



この世の仕組み、本当の生き方はもう分かりましたか?地球は次元が変わります。準備は整っていますか?心霊研究家のつぶやきに耳を傾けてください。
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