ひとりごと、ぶつぶつ

浜辺にて

死ぬことだけを考えていた。どうしたら自分の存在を消すことが出来るだろうか。死んで自分の死体が魚たちについばまれ、骨が海の底に流されていってしまええば、もう私のことなんて、誰も忘れてしまうだろう。それがこの地獄から抜け出す唯一の道に思えた。そんなイメージが頭の中で幾度も繰り返される。いつのまにか近くにある浜辺を目指して歩き出していた。

とても静かな、月のきれいな夜だった。昇り始めた月の光だけがあたりをうっすらと照らしていた。夏のざわめきが消えた浜辺は静かで、打ち寄せる波音だけが囁きかけてくる。流木に腰をおろして、じっと沖を見つめる私の影は長く伸びて、今の私を象徴するかのように砂の中に溶け込んでしまっていた。

私は人生のすべてに自信をなくしてしまっていた。何をしてもうまくいかなかった。あれほど綿密な計画を立てて起こした事業だったが、長年信頼を培ってきたつもりのパートナーに裏切られ破産してしまった。たった一人の可愛い盛りの娘は病気で死んだ。妻は家を出ていった。

私はしばらくのあいだ視点も定まらぬまま暗い海を見ていたが、意を決して立ち上がると沖に向かって歩き出した。砂が足にまとわりつき、漣が膝を濡らし始めた。それでも重い足を一歩二歩と引きずるように運んでいた。これで楽になれる。絶望感だけが私に重くのしかかっていた。波は胸まで届き肩も濡れ始めていた。もうひといきだった。大きく息を吐き全身の力を抜こうとした時だった。

何かが波の上をこちらに向かって進んでくる。得体の知れない恐怖感に襲われ、私は目を見開いて凝視した。ぼんやりしていたその影ははっきりとした形になり、私の前で立ち止まり見下ろしている。なんと人が波の上をスタスタ歩いてきたのだった。私はあまりの恐怖に死ぬことも忘れ、逃げ出そうと必死で水をかいていた。

「何を怖がっているのかね。」と、その人は言った。
「お前は死のうとしていたのではないのか。死まで決意した者が何を恐れるのか。」
そう言い残し、その人は私の前をまたスタスタと岸辺に向かって波の上を歩いていった。

人は不可解な行動を取ることがある。死のうとしていたのだから怖いものなどあるはずもないのに、私は怖がり、次にはその人を追いかけて岸に向かって波をかき分けて必死に歩いていた。その人は、先ほどまで私が掛けていた流木に腰をおろしてじっと私を見ていた。

私はなんとかその人の前までたどり着くと、
「神様、私を助けてください。」と言って砂に頭をこすり付けて哀願した。
そして、それまでの自分の人生がいかに不幸であったか、切々と訴えたのだった。

「残念ながら。」とその人は言った。
「私は神ではない。」
「では、聖者か仙人ですか?」
「いや、そのいずれでもない。」
「では、あなたはどなた様なのですか?きっとどこぞの偉いお方に違いない。そうでなければ水の上を歩けるはずがない。どうぞ、この私のことを哀れみお助けください。」
私は、この人なら出来ないことはないはずだと決めて、心の底から絞り出すような悲しい声で懇願した。

「私もお前と同じ人間に過ぎないのだよ。水の上は歩けないと思っている者には水の上は歩けない。私にとって水の上を歩けるのは当たり前。ただそれだけの差なのだよ。人は皆、無限の可能性を秘めているのに、固定概念で自分を縛り、何も出来ないと諦めている。運命にもて遊ばれ、運命の奴隷として生きているのだ。」
その人は他にも生きていくうえでの大切なヒントをいくつか教えてくれた。自殺することは、もう頭のどこにも残っていなかった。私は次の日から別人として生き返ったように働き出した。それからというもの、何をやってもうまくいくのだった。

ついた仕事は歩合給のセールスだった。新人としてはその会社の記録を塗り替えるようなダントツの売上を数ヶ月続けた後、独立して小さな会社を作った。そこでも新製品が大当たりし、作るのが間にあわず苦情を受けるほどだった。安く買った株はたちまち値上がりするし、お金儲けは雪だるまを作るより簡単に思えてきた。業績不振の会社を買収し再建にも腕を奮った。私が目を付けたという噂が流れただけで株価が高騰するほどだった。飛ぶ鳥を落とす勢いというのはこの事を言うのに違いない。今、私を止めることなど誰にも出来はしない。私は有頂天だった。

だが、落とし穴が待っていた。或る日、会議の席で突然胸が苦しくなり、吐血して倒れた。運ばれた病院では検査が繰り返され、数日後、院長が検査結果を報告にきた。院長は私の顔を見ず下を向いたまま、なぜかとても言いにくそうな素振りをしていたので、私はありのままを告げてほしいと言った。
「それでは」と院長はカルテを見ながら病名を教えてくれた。癌だった。それも悪性の癌が身体中転移していて、手術しても数ヶ月の命ということだった。

院長が出ていった後、私は一人になりたくて付き添っていたスタッフにも部屋を出てくれるように言った。私は呆然とした思いで天井を見上げていた。誰もいないはずの部屋なのに、いつ入ってきたのかベッドの脇の椅子に一人の男がすわっていた。あの男だった。私はベッドから転がり落ちるようにして彼の足元にひれ伏し、命乞いをした。

「お前は真理を自分の都合で使った。その結果が現れただけなのだよ。自分で播いた種だ、自分で刈り取るしかあるまい。」と彼は冷たく言った。
私は諦めきれず、泣きながらまだ死にたくないと訴えた。
「困った人だ。それほど命が大切なら、お前のもっとも大事なものと取り替えてやってもいいが、どうかな?」

私は彼と取引をした。金などいつでも稼げるさ。私の全財産と引き換えに、私は健康を取り戻したのだった。私は嬉し涙を拭った。・・・・のだと思った。打ち寄せる波の飛沫が顔にかかり、それを拭っていたのだった。私は我に返った。すでに満ち潮が足元近くまで寄せて来ていた。どうやら私は流木に腰掛けたまま、うとうとと夢を見ていたようだ。
私は立ちあがり家路を急いだ。来たときと同じように静かな、月のきれいな夜だったが、死にたいという思いはいつのまにか消えていた。 おしまい  癒しのための短いお話たちより


浜辺にて_b0034892_11121461.jpg
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by 892sun | 2013-02-17 11:59
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この世の仕組み、本当の生き方はもう分かりましたか?地球は次元が変わります。準備は整っていますか?心霊研究家のつぶやきに耳を傾けてください。

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