ひとりごと、ぶつぶつ

母の執念

日曜日は創作ショートショートを掲載しています。お楽しみください。

日本海側の冬は長く暗い。陣内恵美子はどんよりとした鉛色の空を見上げながら、いつかこの町を出て誰にも束縛されず自分の思うままに生きてやると、子供のころから何度思ったことだろう。恵美子の家は、古くから金沢ではよく知られた漆器を手広く扱う店で、格式だのしきたりだの作法だのと、幼いころから厳しく躾られた。兄は二人いたが、恵美子は一人娘ということで特別に扱われていたような気がする。自分も男に生まれてくればよかったのにと、女に生まれたことさえ疎ましかった。

そんなわけで、大学へ進学する際は寮生活と女子校ということを条件に、東京の大学をかなり強引に決めた。寮生活も結構うるさいものだったが、遺物に取り囲まれたような金沢の家でのことを考えればまだマシだった。四年間はあっという間に過ぎた。卒業したら直ちに金沢へ戻る約束だった。しかし戻ればすぐに見合い話が進められ、自分の意志とは関係なく人生が決められていくだろう。そう考えていた恵美子は、反対されるのは覚悟のうえで、さるTV局のアナウンサー試験に応募した。

結果は千倍近い難関を突破しての合格だった。兄たちがおっとりした性格なのに、恵美子は小さいといから活発で、逆に生まれてくれればよかったのにと親を嘆かせたものだった。頭の回転も速くものおじしない彼女が成長し自己を主張する。親たちは心配でたまらず、何度も帰郷を説得したが、恵美子は頑として譲らなかった。

彼女は新しい仕事に夢中でのめり込んでいった。昔からの夢が一つずつ実現していくように思えた。研修期間を終えて初めて与えられた仕事は、バラエティー番組のアシスタントのようなものだったが、局の上層部の評価は上々だった。なによりも健康的な美貌と頭の切り替えの早さに、いずれはキャスターへの道を歩むとも評された。その頃、家から母親が体調をくずし伏せているので帰るように連絡が来た。しかし恵美子は無視した。電話で話しをするのさえうっとおしくて受話器を取ることさえ躊躇った。

成功への階段を確実に登りはじめていた彼女も、仕事に慣れてくると余裕も出来、回りも見えてくる。業界の男たちは時間ばかりを気にするような者ばかりで興味は持てなかった。が、取材を兼ねて見に行ったプロ野球の試合で、ピンチに立たされて指名されたリリーフ投手には直感的に心が動いた。味方の危機にも動揺を見せず、ただ自分の力だけを信じて剛速球を投げ込んでくる。恵美子は、その夜一人になったとき、自分が恋に落ちているのを感じた。

所属チームが上京する度に、恵美子は口実を作っては彼に会いにいった。2度3度となれば、回りも彼も当然意識するようになり、二人だけで逢うようになれば愛し合うようになるのに時間はかからない。彼は両親を紹介し結婚を考えだしていた。とても穏やかな暖かい家庭だった。恋は盲目とはよく言ったものだ。あれほど仕事に固執していた恵美子だったのに、彼のためなら局をやめてもいいとさえ思うようになった。

その頃からのことである。彼女の中で何か分からない得体の知れないものが行動を起こした。恵美子には経験のないことだった。彼女は自分は比較的意志は固いと思っていた。我ながら頑固だと思ったこともある。が、近頃、思ったこととまるで反対のことを言ってみたり、急に考えが変わってしまうことがよく起こる。自分が二人に分裂したような気分だった。これも初めての恋のせいなのか。

もう一人の自分は日ごとに成長して彼女を支配しようとしていた。特に彼と一緒のときはひどかった。学歴がどうの、スポーツ選手としての寿命がどうの、挙句の果ては、彼の両親や兄弟の欠点までも言おうとしている自分がいる。恵美子は負けまいとして自分の考えを話そうとするのだが、意志とは裏腹に勝手に口が喋る。

彼との破局が週刊誌に派手に報じられた日、局からも異常な行動を理由に休養を命じられた。私の中に誰かが住みついている。誰かが私を支配しようとしている。それが誰なのか突止めて出ていってもらわなければ、私はそいつに乗っ取られてしまう。錯乱する意識のまま恵美子は精神科の医師を訪れた。

紹介された医師は催眠療法による精神分裂症の権威だった。恵美子の話をメモを取りながら注意ぶかく聞いてくれた。それから医師は恵美子にゆっくりと暗示をかけ催眠状態へ導いていった。どれほどの時間が経ったのだろうか。数字が逆に数えられ、最後に指がパチンと鳴らされて恵美子は我に返った。催眠中のことは何も覚えていなかった。
「気分はどうですか?すべて終わりましたよ。」
「私の中にいたのは誰だったんでょう?」
「もう済んだことです。誰だったかなんてお知りにならないほうが、いいと思いますよ。今までのことは忘れてもう一度新しい自分に生まれ変わったとお思いになることです。」

恵美子は自分の部屋に戻ると、冷蔵庫から缶ビールを取り出していっきい飲みほした。カーテンを開けはなして思いきり空気を吸い込んでみた。しかし爽やかな気分にはとうていなれず、今にも雨が降りだしそうな空を見上げているうち、なぜか金沢のことが懐かしく思い出されてきて、翌日の切符を手配するために受話器を取りあげていた。

我が家は昔とまったく変わらぬ佇まいをみせていた。妹の垢抜けた装いに兄たちは驚いたように歓声をあげたが、
「帰るなら帰ると、なぜ連絡せんのか、迎えを出したものを。」
と、父は喜びを素直に表すまいとしている。
「全く親不幸もんが。母さんの見舞にも来んと。母さんはな、お前のことが心配で起きられんほど弱っておったんじゃ。昨日からやっと食欲もでて元気が戻ってきたところなんじゃぞ。」
店先での喧騒に、何事かと、その母が姿を見せた。かつて矍鑠として店を切り盛りしていた面影はなく、すっかり老け込んで小さくなってしまった母は、父の肩越しからいくぶんきまり悪そうにして恵美子を見た。  終   癒しのための短いお話たちより

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by 892sun | 2013-05-26 10:30
<< 超小食生活 何故、貧しき者は幸せなのか >>



この世の仕組み、本当の生き方はもう分かりましたか?地球は次元が変わります。準備は整っていますか?心霊研究家のつぶやきに耳を傾けてください。
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