ダンボールでできたバイオリン
私はまもなく定年を迎えようとしている中学の音楽教師です。教師も長くやっているといろいろな生徒との出会いがありますが、なかでも特に印象に残っている一人の教え子のお話を致しましょう。もう40年以上も前になりますが、それからもずっと私のことを忘れずに時々思い出したように便りをくれます。教え子が日々成長していくのを見守ることほど教師にとっては、これ以上の喜びはありません。
彼は、私が赴任した最初の学校の生徒で、貧しい農家の子でしたが、音楽が大好きで、他の学科の成績はぱっとしませんでしたが、音楽の時間になると楽しそうに目を輝かせ、「せんせ、オイラ大きくなったらバイオリニストになって、世界中を演奏旅行して回るんだ」と言うのです。少年が大志を抱くことは素晴らしいことですから、私も相槌ちを売って、「そうか、頑張りなさい」と励ましていたのですが、何度も何度も繰り返すので、ある時、こんなことを言ってしまったことがありました。「有名なバイオリニストは小さい時から英才教育を受けている」言ってしまって、すぐ失敗したことに気がつきましたが、覆水盆に帰らずです。 その時の彼の悲しそうな目を今も覚えています。「そんなこと知ってらい、卒業したら働いてバイオリン買ってガンガン練習すればきっとバイオリニストになれるんだい」と言い張りました。そこで私は慰めるつもりでこんなことを言いました。「バイオリンがなくてもバイオリニストになるためには、やっておかないくてはいけないことがあるゾ、それは君の耳を鍛えることだ。バイオリンの名演奏をたくさん聴いて、まずは耳から鍛えなさい」それからというものは、彼は部活は止めて、学校が終わると一人町の図書館に併設されていた音楽室へ通い、レコードに耳を傾けていると聞きました。 三年生の中学最後の夏休みが終わって二学期の始業式の日、彼は私のところへ、風呂敷に包んだものを大事そうに抱えてやってきました。「せんせ、見てくれ。これがオイラのバイオリンだ」風呂敷をそっと開くと、そこには真新しいバイオリンがありました。私は手に取って、思わず声を上げてしまいました。それは実に良く出来てはいましたが、ダンボールをバイオリンの形にくりぬいたものを、厚みを出すために何枚も張り合わせ、その上から薄紙を張って色づけしたものでした。ニスの色も見事でしたから、本物そっくりでしたが、さすがに弦を張ることは出来ないので音は出させません。しかしその年の夏休みの工作としては、もちろん最優秀ということで、表彰されました。 その彼は中学を卒業すると上級学校には進まず、大手の楽器メーカーに就職しました。本当は専門学校にでも進学したかったのでしょうが、家の事情が許さないことを知っていました。しばらく便りがありませんでしたが、バイオリンの製造部に配属されたと、嬉しそうに知らせてきたのは10年も過ぎた頃のことでしょうか。 それから30有余年、昨年の夏休み前、彼から招待状が届きました。彼は会社から独立して自分のバイオリン工房を八ヶ岳山麓に開いて、彼の名前入りのバイオリンの製造や修理をしているということでした。私も音楽家の端くれですから、彼の作るバイオリンが業界で評判を呼んでいることは知っていましたので、影ながら喜んでいたのですが、直接呼んでくれたので、休みを利用して逢いに行ってきました。 緑豊かな草原の片隅の小さな森と湖、その風景に溶け込むように建てられた一軒の山小屋風の家が彼の工房兼住居でした。そこで彼は近所の子供たちを集めて、バイオリンを教えたり、作ったりしていました。子供たちの連中場にもなっている広いリビングの奥に、飾られている一台のバイオリンが目に留まりました。忘れもしないあのダンボールのバイオリンでした。「せんせい、私の夢はバイオリニストになって世界中を演奏旅行することでしたが、とうとう叶いませんでした」 「いや、そんなことはないよ」と私は言いました。「あなたの作ったバイオリンが、あなたの分身として代わりに世界中を旅している。こんな素晴らしいことがあるだろうか。その1号機が、あのバイオリンだったんだね。」とダンボール製のバイオリンを見上げました。「せんせいに指摘されるまでもなく、バイオリニストになるには小さい頃からの勉強が大切なことは分かっていたんです。あのバイオリンを作ったのは、演奏家がだめなら製作者になろうと決心したからです。あの頃の気持ちを忘れないためにも、ああして飾ってあるんです。私の宝物です」」そいう言って、彼は私に微笑んだ。 部屋にはブラームスのバイオリン協奏曲が静かに流れていた。終わり 癒しのための短いお話たちより 「ひとりごと ぶつぶつ」 矢国タテル著、明窓出版、¥1300+税、このブログの過去ログが本になりました。購入を希望される方は最寄の書店に注文されるか、こちらからご注文ください。アマゾンからも注文できます。 哲学・思想及びスピリチュアルのジャンルでブログ・ランキングに登録しています。お読みになってよかったと思われたら、バナーのクリックをお願い致します。 個別のコメントにはしっかり対応できていませんが、コメントのやりとりを希望される方はミクシーからアクセスしてください。「やくに」で検索すれば見つかると思います。ご相談のある方はホームページ「マイ・スピリチュアル・ワールド」からお入りください。よろしくお願いします。
by 892sun
| 2013-06-30 10:24
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