ひとりごと、ぶつぶつ

類魂論・・ワンネスを理解するために

再生について述べる場合は、この類魂という概念を避けて通るわけにはいきません。今までの、どの宗教でも触れていませんし、スピリチュアリズムの三大霊訓の中にも説明がありません。唯一マイヤースの通信の中で述べられているだけなのですが、再生に関する他の霊訓と矛盾するところがないばかりでなく、最も納得がゆくので、私はこの類魂論を支持しています。

この概念を知ることにより、再生に際して意識生命体全体が再生するのではなく、一つの側面が新たな体験を求めて生まれてくることが分かります。(部分再生説)また、この言葉には二つの意味があります。一つは個として自立する前の、人間以外の多くの生物が所属するグループを類魂と呼びます。例えば、人間の魂に一番近いといわれる犬は、どれほど利口でも死後は、暫くは愛された飼い主と共に、過ごしますが、飼い主の霊性進化につれて自ら犬の類魂の中へ戻っていきます。

もう一つがマイヤースの言うところの霊的親族ともいえる類魂説です。簡単に説明すれば、私たちの魂は、大小(百とも千とも)さまざまな霊系統を同じくするグループに所属していて、何度か再生した後、カルマを超越したような状態になったとき、類魂に所属する他のメンバーの体験を交互に自らのものとすることが出来るといものです。故に無限に再生はしないとするのです。

ジェラルディン・カミンズ著「マイヤースの通信・永遠の大道」から六章、類魂を転載する。

霊的意識の集団
類魂は、見方によっては単数でもあり、複数でもある。一個の高級霊が複数の霊を一つにまとめているのである。脳の中に幾つかの中枢があるように、霊的生活においても、一個の統括霊によって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分を右の高級霊から貰うのである。

地上時代の私もある一つの類魂団に属していた。が、自分以外の類魂とその全てを養う統括霊ーこれらは根に相当すると考えればよいーは超物質の世界にいた。霊的進化の実相を理解せんとする者はぜひともこの類魂の原理を研究し、また理解しなくてはいけない。これによって、例えば従来の再生説だけでは説明のつかない難問の多くが見事に片付く。

私はこの説を決して安直にに述べているわけではない。例えば人間が生をうけるのは、前世での罪の代価を払うためであるというのは、ある意味では真実である。が、その前世とは、自分の生涯といえると同時に自分の生涯ではないともいえる。つまり前世とは自分と同じ霊系の魂の一つが、私が誕生する以前に地上で送った生涯をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえているのである。

現在私が居住している超物質界には無限に近いほどの生活状態があるので、私はただ私の知っている限りのことしか述べられない。断じて誤っていないとは言わないが、大体これから述べることを一つの定理と考えていただきたい。

さて、ソウルマンとなると大部分は二度と地上に戻りたいとは思わない。が、彼らを統括している霊は幾度でも地上生活を求める。そして、その統括霊が類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において互いに反応しあい、刺激しあうのである。従って私が霊的祖先という時、それは肉体上の祖先のことではなく、そうした一個の霊によって私と結びついている類魂の先輩たちのことをいうのである。

一個の統括霊の中に含まれる魂の数は二十の場合もあれば百の場合もあり、また千の場合もあり、その数は一定しない。ただ仏教でいうところの宿業(カルマ)は確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなく、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の一つが残していった型のことをさすことがある。

同様に私も、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことになる。かくして我々は、いずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界で生活している他の霊的仲間たちからの影響を受け合うのである。

仏教が唱道する再生輪廻説、すなわち何ども地上生活を繰り返すという説明は、半面の真理しか述べていない。この半面の真理というのは、往々にして完全な誤謬よりも悪影響を及ぼすことがある。私自身は二度と地上に現れることはないであろう。が、自分と同系の他の魂は、私がかって地上でこしらえたカルマの中へ入ることになる。ただし、私がカルマという用語を用いる時、それは従来のカルマと同じものではない。私は私としての王国を持っている。が、それすら大きな連邦の一単位に過ぎないのである。

こう述べると、中にはソウルマンにとっても一回の地上生活では十分ではないのではないかと言う人がいるかもしれない。が、こちらで進化を遂げると、同一の霊系の魂の記憶と経験の中へ入り込むことが出来るようになるのである。私はこの類魂説が一般的通則として規定さるべきであるとは言わない。が、私の知る限り、私の経験した限りにおいて、断じて正しいと信じる。

この私論ーそう呼ぶ人が多分いると思うーは、天才のケースに適用した時に極めて興味深い。我々以前に地上に出現した魂は精神的にも道徳的にも、当然、我々に何らかの影響を与えるに相違ない。従ってある特殊な類魂の内部で、ある特殊な能力、例えば音楽的才能が連続的に開拓されたら、最後にはその特殊な能力が地上の代表者に顕著に現れるはずである。即ち幾つかの前世中に蓄積sれた傾向が驚くべき無意識の情報となって、一人の地上の代表者の所有物となるのである。

我々は、この死後の世界へ来て霊的に向上していくにつれて、次第にこの類魂の存在を自覚するようになる。そして遂には個人的存在に別れを告げて類魂の中に没入し、仲間たちの経験までも我が物としてしまう。ということは、結局人間の存在には二つの面があると理解していただきたいのである。即ち一つは形態に宿っての客観的存在であり、もう一つはる遺恨の一員としての主観的存在である。

地上の人間は私のこの類魂説をすぐには受け入れてくれないかも知れない。多分死後においての不変の独立性に憧れるか、あるいは神の大生命の中に一種の精神的気絶を遂げたいと思うであろう。が、私の類魂説にはその二つの要素が含まれている。即ち我々は立派な個性をもった存在であり続けると同時に、全体の中の不可欠の一員でもあり続けるのである。

私のいう色彩界、とくに次の光焔界まで進んでくると、全体としての内面的な協調の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。”存在”の意義がここに来て一段と深まり、そして強くなる。また、ここにきて初めて地上生活では免れない自己中心性、つまり自分の物的生命を維持するために絶え間なく他の物的生命を破壊して行かねばならないという、地上的必要悪から完全に解脱する。

類魂の真相が分かり始めるのは色彩界に到達してからで、そこから一大変革を遂げることになる。各自は一歩一歩に経験の性質、精神の威力を探りはじめる。その際、もしも彼がソウルマンであれば、時としてとんでもない過ちを犯す危険性がある。類魂たちの知的ならびに情緒的経験に通暁して行くうちに、時として類魂中のある部分に作りつけの雛型に逢着することがある。うっかりすると彼はその雛型にはまりこんでしまい、幾千年にもわたって一歩も歩みだせなくなることがあるのである。

右の雛型というのは地上生活中に作り上げられた宗教的信条といった類のもので、例えば狂信的仏教徒や敬虔このうえないキリスト教徒が地上時代の信仰の轍にはまりこんでしまう。そこではおそらく同系統の仲間も同じ教説によって足枷をはめられていることだろう。一歩も向上しないまま、キリスト教的な夢想や仏教的な幻想がこしらえた想念や記憶の中に留まり続けるのである。言うなればタコの蝕手にひっかかったようなものであろう。そのタコが地上でこしらえた死後に関する想念であり宇宙観なのである。

そうした境涯が進歩を阻害することは理解できるであろう。別の譬えで言えば、それは一種の”知的さなぎ”のようなもので、そこでは過去の地上での考えのままの生活が延々と営まれている。向上の道にある者が客観的にその境涯を考察するのは結構であり必要でもあろう。しかし断じてその中に引きずり込まれたり、狭い牢獄に閉じ込められたりしてはならない。

同じくマイヤースの通信「個人的存在の彼方」より、第4章再生(生まれ変わり)

  地上での動物的本能の赴くままに生きた人間が、こんどは知的ないし情緒的生活を体験するために再び地上へ戻ってくることは、これは紛れもない事実である。言いかえれば、私のいう「肉の人」はまず間違いなく再生する。
 
私のいう「魂の人」の中にも再生という手段を選ぶ者がいないわけではない。が、いわゆる輪廻転生というのは、機械的なくり返しではない。一個の霊が機械が回転するごとくに「生」と「死」をくり返したという例証を私は知らない。100回も200回も地上に戻ってくるなどということは、まず考えられないことである。その説は明らかに間違っている。
 
もちろん原始的人間の中には、向上心、つまり動物的段階から抜け出ようとする欲求がなかなか芽生えない者がいるであろうし、そういう人間は例外的に何度も何度も再生をくり返すかも知れない。が、大部分の人間は、2回から3回、せいぜい4回くらいなものである。
 
もっとも、中には特殊な使命または因縁があって、8回も9回も地上へ戻ってくる場合もないではない。従っていい加減な数字を言うわけにはいかないが、断言できることは、人間という形態で50回も100回も、あるいはそれ以上も地上をうろつくというようなことは絶対にない。
 
こう言うと、たった2回や3回の地上生活では十分な経験は得られないのではないか、とおっしゃる方がいるかも知れない。が、その不足を補うための配慮がちゃんと用意されているのである。
 
乞食・道化師・王様・詩人・母親・軍人――以上は無数に存在する生活形態の中から、種類と性質のまったく異なるものを無雑作に拾いあげてみたのであるが、注目すべきことは、この6人とも五感を使っているという点においては同じであること、言い換えれば人間生活の基本である喜怒哀楽の体験においては、まったく同じ条件下にあり、ただ肉体器官の特徴とリズムがその表現を変えているにすぎないということである。
 
そうは言っても、たとえ彼らが地上生活を6回くり返したとしても、人間的体験としてはほんの一部分しか体験できないことは確かである。苦労したといってもたかが知れている。 人情の機微に触れたといっても、あるいは豁然大悟したといっても、その程度は知れたものである。人間の意識の全範囲、人間的感覚のすべてに通暁するなどということは、まずできない相談だと言ってよい。それなのに私は敢えて、地上生活の体験を十分に身につけるまでは(特殊な例外を除いては)死後において高い界層には住むことは望めない、と言うのである。
 
その矛盾を説くのが、私のいう類魂の原理である。われわれは、そうした無数の地上的体験と知識とを身につけるために、わざわざ地上に戻ってくる必要はない。他の類魂が集積した体験と知識とを我がものとすることができるのである。
 
誰にでも大勢の仲間がおり、それらが旅した過去があり、今旅している現在があり、そして、これから旅する未来がある。類魂の人生はまさしく「旅」である。私自身はかつて一度も黄色人種としての地上体験を持たないが、私の属する類魂の中には東洋で生活した者が何人かおり、私はその生活の中の行為と喜怒哀楽を、実際と同じように体験することができるのである。
 
その中には仏教の僧侶だったものもいれば、アメリカ人の商人だった者もおり、イタリア人の画家だった者もいる。その仲間たちの体験を私がうまく吸収すれば、わざわざ地上へ降りて生活する必要はないのである。
 
こうした類魂という「より大きな自分」の中に入って見ると、意志と精神と感性とがいかに威力を増すものであるかが分かってくる。自意識と根本的性格は少しも失われていない。それでいて、性格と霊力とが飛躍的に大きくなっている。幾世紀にもわたる先輩たちの叡知を、肉体という牢獄の中における「疾風怒濤」の地上生活によってではなく、肌の色こそ違え、同じ地上で生活した霊的仲間たちの体験の中から、愛という吸引力によって我がものとすることができるのである。
 
不幸にして不具の肉体をもって生まれたとすれば、それは前世において何らかの重大な過ちを犯し、それを償うには、そうした身体に宿るのがいちばん効果的であるとの判断があったと解釈すべきである。

再生には定まった型というものはない。一人ひとりみな異なる。死後の生活においては、誰しも地上生活を振り返って、その意義を深く吟味する時期が必ず訪れる。原始的人間であれば、それが知性ではなくて本能によって、つまり一種の情感的思考によって行なわれ、魂の深奥が鼓舞される。その時、類魂を統一しているスピリットが、再び地上に戻るようにとの考えを吹き込む。といって、強制はしない。あくまでも本人に選択の自由が残されている。が、スピリットは進化にとってもっとも効果的な道を示唆し、個々の類魂も大抵の場合それに従うことになる。
 
初めて地上に生まれてくる霊の場合は特別の保護が必要なので、類魂との霊的関係がとくに密接となり、その結果、直接の管理に当たる霊(守護霊)のカルマが強く作用することになる。その霊はたぶん3回ないし4回の地上生活を体験していることであろう。が、まだ完全に浄化しきってはいない。言い換えれば、霊的進化にとって必要な物的体験のすべてを吸収しきってはいない。そこで、その不足を補うためには次の2つの方法が考えられる。
 
1つは、さきほど紹介した、類魂の記憶の中に入っていく方法。もう1つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂とともに地上生活を送る方法である。後者の場合、地上の類魂は言わば「創造的再生」の産物である。言ってみれば、自分の前世の生き証人であり、これによって霊的に一段と成長する。
 
霊とは創造的理解力の中枢である。が、中にはその力が乏しくて、どうしても創造主の心の中に入りこむことができない者がいる。そんな時、類魂を統一しているスピリットは、永遠不滅の超越界へ入る資格なしとみて、今一度、始めからのやり直しを命じる。  が、それまでの旅路で得たものは何一つ無駄にならないし、何一つ失われることはない。すべての記憶、すべての体験は類魂の中にあずけられ、仲間の活用に供されるのである。
 
私は確信をもって言うが、私のいう「霊の人」のうちある者は、たった1回きりしか物質界を体験しない。また私の考えでは、イエスはエリアの再生ではない。他の何者の再生でもない。イエスは神の意志の直接の表現、すなわち、言葉が肉となったのである。イエスはたった一度だけ地上に降りて、そして一気に父なる神のもとに帰って行った。イエスにとって途中の段階的進化の旅は無用だった。そこにイエスの神性の秘密が存在する。
引用終わり

さて、一つ注意しておきたいのは、最近ではソウルメイトという言葉をよく聞きます。ブライアン・ワイスの著書で使われたのがきっかけだと思います。このソウルメイトと類魂を同一視しないようにしてください。過去生のどこかでで関わりを持った人をソウルメイトと呼びますが、メイトであくまで友人です。類魂とは親族なのです。
またワンネスという言葉もよく遣われますが、何故ワンネスなのかが類魂の概念を学ぶことでよく理解できるようになると思います。

冒頭で類魂論を説いたのは唯一マイヤースだけと述べましたが、実は日本人で類魂論を述べた方、小山順司氏がいらっしゃいますので、これを機会に紹介しておきます。マイヤースの類魂論を補足した形になっていますが、非常に難解で、私自身はまだ理解できていません。小山氏はもうお亡くなりになりましたが、生前、日本心霊科学協会の機関紙「心霊研究」に発表された論文が、同じく会員の川崎久美子氏のサイトに彼女の解説として全文掲載されていますので、リンクしておきます。さらに詳しく勉強してみたいかたは参考にしてみてください。
小山順司氏による類魂論・川崎久美子氏の解説  (2008/03/18)

注)土曜日は過去ログの中から、是非もう一度読んでほしい日記を再掲しています

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by 892sun | 2013-07-13 10:10
<< 蝶に成り損なった青虫 新しい未来を創り出したい >>



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