汝の敵を愛せよ
メッセンジャーはダスカロスの経験した信じられないようなエピソードで溢れています。今日は、その中からカルマについて、深く考えさせられるエピソードを紹介したいと思います。カルマとは原因と結果の法則で、宇宙を動かしている法則の中でも最大のものです。ダスカロスはエレメンタルという概念を使って、原因を作った人の元へ結果が必ず現れる理由を説明していますが、霊性が向上し、自分のカルマを全て清算してしまったような魂には他人のカルマさえ代わることが出来るそうなのです。それにしても、かつて自分を殺した人物が、目の前に現れた時、あなたはその人のカルマを肩代わり出来ますか?ダスカロスはそれこそが愛だと説くのです。
汝の敵を愛せよ・・・・自分を殺した人物のカルマを肩代わりしたエピソード(P107~P111) 何年か前、甥がある未亡人と結婚してもいいかどうか意見を聞きに来た。「その未亡人だけでなく、彼女の7歳になる娘も心から愛せるなら祝福してあげよう」と言った。彼は、その娘も愛していると言い、彼が本気であることがよくわかった。結婚式で花婿の付き添い役を私はやった。1年すると男の子が生まれたが、赤ん坊は医者が治せない重い障害を持っていた。足が二本とも胸にくっついて生まれたのだ。 甥たちは私の所へ来た。私は子供を自分の腕に抱えると、それが誰だかすぐに分かった。その日、シオファニスも来ていて、彼もすぐ分かった。彼には他の人たちには何も言わないように頼み、子供の両親には私が面倒を見ることを伝えた。ゆっくりと時間をかけて、足を自由にしてギブスをはめることができた。数週間ごとにギブスをはずし、足をマッサージして、新しいギブスをはめるんだ。男の子は良くなってきて、父親が私にこの子の洗礼をして欲しいと頼んできた。その時、子供は生後三ヶ月だった。 そうしているうちに、或る朝、サンクタム(聖所)に歩いて行く途中、何かを踏んで、痛みを感じた。私は自分の部屋にいき、どうしたのか見るために靴を脱いだ。孫娘がいたのだが、彼女は「おじいちゃん、見て、足が真っ黒よ」と言う。その時、なにが起きたのか分かった。あの小さな子供のカルマを私が引き受けたのだ。孫は母親のところへ走って行った。娘はすぐ飛んできて、病院へ連れていってくれた。 主治医が見て、壊疽だと判断した。足は切断するしかない、と私は承諾した。壊疽はもう膝まできていた。手術は次の日に決まり、川が見える病室をとった。私は医者に、いつも午後になると瞑想しているので、手術の前の日に1時間ほど一人でいたいと伝えた。医者は反対しなかった。私は一人になれて、川に面したドアを見つめながらベッドに座っていた。私は微笑んでロゴスに話しかけた。「もし私が足を助けてくれと、情けを請うと思ったらそれは違います。これは私の足、あなたの足です。」 ダスカロスは右足を指差した。「もしこれが治るべきだと思ったら、治してください。もし切断するべきだったら、切断してください。あなたの意志の通りになさってください。愛するお方よ」私は、そう話し終わった瞬間に、風が自分の頬にキスをしていくような感触を味わった。そして、急にベッドの端に天使が座って、病気の足を片方の手で持ち、もう片方の手で撫でている。白い衣をまとった、とてもハンサムな若者に見えた。羽根はついていなかったよ。私のほうに注意は向けていなかった。ただ、足を撫でていたのだ。それが終わると、かれの姿は消えた。同時に、壊疽も。次の朝、医者たちが手術の準備をしにやってきたが、私の足を見て驚いたものだ。親指の小さな黒い点が残っているだけだった。次の日には、すべての壊疽は消えてなくなっていた。 ダスカロスはその赤ちゃんと自分とのカルマ的なつながりについて話してくれた。 何世紀か前、この赤ん坊はビザンチンの海軍の船員だった。貧乏な男で、とても美しい妻から何ヶ月、時には何年も離れて暮らさなくてはならなかった。彼が航海に出ている時、ビザンチンの貴族の男が彼の妻に目をつけて、関係を持ったのだ。船員が戻ると、妻は恋人のために彼を捨てた。怒りと苦しみで彼は海賊の一員になり、やがてリーダーとなった。三隻の船を操り、やがてビザンチンや他の船を脅かすようになったのだ。 その頃の私はイタリア人で、ベニスからコンスタンチノーブルに派遣された大使の息子だった。私は父と別居している母とともにベニスで生活していた。二年ごとに、ベニスから父のいるコンスタンチノーブルに旅するときはいつも、年取った太った女家庭教師が付き添っていた。このような旅の帰り、シシリー島を通りかかった時、海賊に襲われた。その時、私は16歳だった。ビザンチンの海賊たちは、私の金の刺繍を施した服を取り上げ、代わりにボロの服を着せた。家庭教師は、他の年取った客と一緒に殺されてしまった。使いようがなかったからだ。 かれらは、若くて強そうに見える私たちを選んで奴隷にした。モロッコの海岸に彼らの隠れ家があった。そこには、彼らの塔があって、男女の奴隷市があった。黒いアラビア人が私の歯を見て、、丈夫かどうか確認して買っていった。私は連れ去られる時、振り返ったのだが、なぜかそのビザンチンの海賊に愛情を感じた。 三年間の奴隷生活が過ぎた。生活環境はひどいもので、髪が抜けはじめた。肌は黄色くなり、たくさんの歯が抜けた。病気だったのだ。また、海賊船が来た時、アラビア人の主人は私を海賊のところへ連れて行き、金を返せと要求した。海賊は抗議した。こんな状態で売った覚えは無い。お前自身の個人用の召使いとしてやったつもりだったのに、こんな病気にしてしまうなんて。しばらく言い争いが続くと、ビザンチンの海賊はいくらかのお金をアラブ人に渡して、私を買い戻してくれた。 私は岩の上に座り、低い壁に寄りかかった。私は海賊の目を見つめて言った。同じクリスチャンなのに、なぜこんな仕打ちをするんですか。すくなくとも、なぜあなた自身の召使いにしてくれなかったのですか。彼は怒った。お前はクリスチャンなんかではない。フランク(カトリック)だと怒鳴り、私の顔を殴った。そして怒り余って、自分の手下に私を殺すように命じた。手下が私を襲い、剣を腹に刺した時、彼の気が変わった。どうやら私の言葉で目が覚めたようだった。手下たちを止めるために駆け寄ったが、手遅れだった。もう私は殺された後だった。 彼は私の遺体を引き取り、私が着ていたボロの服をたたみ、それに口付けして胸にしまった。それから、綺麗な白い服を着せて、埋葬のために正教会の司祭のところへ連れていった。ビザンチンの海賊たちは、モロッコの海岸に植民地を作り、教会に追い出された司祭とか、何かの形で反逆した者たちを囲っていた。しかし、この司祭は私がフランクだからと埋葬を断った。海賊は自分で墓を造り、私を埋葬してくれた。そして必要な祈りをしてくれた。私の墓に十字架を置くと、一晩、寝ずの番をしてくれた。そして海賊をやめる決心をした。私は彼のことを向こうの世界から見ていて、哀れみを感じた。シシリー島の別の司祭の懺悔して、かれは毎晩私の服を枕にして寝た。一年半たって、彼は病気になり、腹が膨張して死んだ。それから二度と会うことはなかった。 さて、私が洗礼を行うために行くと、赤ん坊は不思議な行動をとった。私の指を持つと離さないのだ。泣き続けて、私の目の中を覗き込んでくるし、持ち上げて抱いていると、唇を頬につけてくる。彼の父親は、赤ん坊が誰かにキスしたのは初めてだと言っていた。カルマが彼の場合、どう働いたか、見て欲しいとダスカロスは言った。キリストの名において名付け親として洗礼式に立会い、霊魂上の親となったのだ、と彼は言った。(2008/04/30) 土曜日は過去ログの中から、是非もう一度読んでほしいものを選んで再掲しています。 哲学・思想及びスピリチュアルのジャンルでブログ・ランキングに登録しています。お読みになってよかったと思われたら、バナーのクリックをお願い致します。 個別のコメントにはしっかり対応できていませんが、コメントのやりとりを希望される方はミクシーからアクセスしてください。「やくに」で検索すれば見つかると思います。ご相談のある方はホームページ「マイ・スピリチュアル・ワールド」からお入りください。よろしくお願いします。
by 892sun
| 2013-08-17 11:40
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