アメリカ幕府の指示に従って政策遂行をしなくては、植民地日本としてはやっていけないことは皆な知っている。自民党と民主党のどこが違うのかと問われれば、ほとんど違わないのです。民主党のメンバーは右から左までいるけれど、小沢一郎はかつては自民党経世会の重鎮だったのだから、自民党との違いなどを国民に分からせようとしても無駄だと思う。
しかしそれでも、私がコネズミ自民党から小沢民主党への政権交代を願うのは、ひとえに長期政権によって官僚との癒着体質から逃れることが出来ずに、どんな政策を出しても全部、官僚の都合のいいように書き換えられてしまうことです。コネズミの言うところの改革とは全てアメリカの要求を丸呑みしたものであり、日本人ひとりひとりの幸せを考えたものなど一つもなかった。それだけでは、さすがに気が引けたのか、公務員数の削減を公約したのだが、これがインチキそのもので、表向き数だけは減らして改革したとか叫んでいるが、事実は公務員を特殊法人枠に移しただけで、そこへ垂れ流される税金は全く減っていない。依然として特殊法人を税金で維持しているパターンは同じなのである。これが改革なのだろうか。
二大政党制が機能するということは、こうした官僚との癒着体質がなくなり諸悪の根源である天下りがなくなり、そうなれば当然談合などというものもなくなり、使わなくてもいい予算が大幅に増えることだと思う。これほど国の扱う予算は大きいのに、政策ではフランスのような国に負けている。国民が豊かさを享受できないでいるのは、利益がアメリカに流れる仕組みを受け入れた自民党の政策の失敗でもあるが、それに輪をかけたような長期にわたる政官業の癒着体質が腐敗を生み出していることに気付かなくてはならない。
民主党に政権担当能力があるかどうか、それほど危惧することはない。自民党の中にも素人集団はいるのだ。それよりも若い力の中から能力のある人間を育て、古い体質からの脱却こそこれからの日本に最も必要なことではないだろうか。改革とはそういうことだと思う。