生まれつきの能力の差は必ずあるものだし、頑張ったものが見合った目的物を手にすることは当然の権利だろう。自由主義経済の中で生きることを義務付けられた以上、見果てぬ報酬を夢みることも自由だ。だから、堀江や村上の目指した世界を否定などしない。が、それはルールの中で正々堂々と行われるべき行動であり、人の道さえも踏みにじって行われたとなると、知らずに支持してきた人たちさえも裏切ることになる。
とくに株式取引による投資とか投機は、情報を先に得た者が勝者だから、インサイダー取引が厳しく取り締まられるわけだけれど、そんなことを承知のうえでも内部にいれば儲かる話はごろごろしているのだから、良心よりも利を尊ぶような人間は遠かれ早かれ人の道をはずれて転ぶことになる。それは一般の投資家を裏切る行為だが、特権意識がそんな罪悪感をふさいでしまう。
堀江と村上に共通するのは、一般の投資家ばかりでなく、世論を敵に回したことだろう。金さえあれば、後はどうとでもなると思ったのだろうか。バフェットも、ソロスも、投資家で大金持ちだが、誰も彼らを非難はしない。松下幸之助やビルゲイツがどれほど稼ごうと、羨ましがられ尊敬されている。それは、稼いだ金に見合った社会貢献を常に心がけているからだ。バフェットもソロスも慈善事業家としての顔をもっている。彼らは皆、多くの人々の犠牲の上に自分が立っていることを知っているからだ。
堀江の裁判の行方がどうなるか、村上が起訴されるかどうか、それは分からないが、なかなか一般人には経験できないような大金を手にしたところで、唯の凡人であることを曝け出してしまった。これから多くの犠牲者の怨念を背負って生きていくことになるが、さて、耐えられるかな。