ひとりごと、ぶつぶつ

第19話 ミューズの子

ペテロのお父さんはいつも陽気で、大きなよく通る声で歌を唄うのが好きだった。市場で果物を売るときも、まるでオペラ歌手みたいに節をつけた声で客を呼んでは皆を笑わせていた。ペテロはそんなお父さんが大好きだった。

ペテロが6歳になった時、戦争が始まった。国を守らなければと言って、お父さんや男たちは皆出かけていった。ペテロはお母さんと妹と、お母さんの生まれた村に避難した。

お母さんんの遠い親戚に頼んで借りた納屋がペテロたち家族の住まいになった。藁を積んだだけのベッドだった。お母さんもペテロも農家の手伝いをして食べ物を分けてもらった。

お父さんのいない家庭ほど惨めなものはない。お母さんが時折見せる悲しそうな顔を見るたび、ペテロはお父さんから覚えた歌を大声で唄った。そして、この家族は僕が必ず守ってみせると心に誓うのだった。

そんなペテロに一つだけ楽しみが生まれた。村の教会の聖歌隊のメンバーになれたことだった。お父さんの血筋を受け継いでペテロも歌がうまかった。賛美歌を唄っているときだけが安らぎのときだった。

一年、二年と時は過ぎてゆくのに、お父さんは帰ってこなかった。村に悪い噂が流れてきていた。敵の軍勢がどんどん押し寄せてきているというのだった。噂は本当だった。逃げ惑う人々がこの村を通り過ぎて行く。この村の人たちも逃げ出して行った。

ペテロたちは逃げなかった。お父さんはもう帰ってこないと思ったからだった。ペテロの家族は心を決めて僅かに残った人々と教会に向かった。最後の祈りを捧げるために。

牧師のオルガンの演奏と美しい賛美歌が流れていた。小さなステンドグラスの窓に戦火が稲妻のように照り返していた。やがてそれは歌声をかき消し教会も炎の中に崩れ落ちていった。


ペテロは気が付くとお父さんの腕にしっかりと抱かれて美しい湖のほとりにいた。妹も母さんも一緒だった。周りの草原には見たこともない色鮮やかな草花が咲き乱れ、虹色のオーロラが舞う空を小鳥たちの群れが踊る。そこには餓えも寒さも恐怖もなかった。他にも再会の喜びを分かち合っている家族があちこちにいる。ペテロは夢を見ているのだと思った。
「お父さん、やっと会えたね。僕、嬉しいよ。でもこれは夢なんでしょう。」
「ペテロ、大きくなったな。父さんも嬉しいよ。これは夢じゃないだ。これからはずっと一緒だよ。」
「ああ、なんてここは暖かくて平和なんだろう。それに較べて今まではなんて惨めだったんだ。人々はすぐに争うし戦は果てしなく続く。いつになったら、ここと同じように平和で穏やかな生活が出来るんですか?」
「人々の心の中が暖かく穏やかになれば争うこともなくなるだろう。心に愛を、唇には歌さ。」

誰が唄いだしたのか、神への感謝が賛美歌となって口をついて流れ始め、まわりの全ての者たちが合唱していた。祈りは青く透明な大気の中をどこまでもどこまでも響き渡っていった。オーロラの光も旋律に合わせるように形を変化させた。その時、天空の一角からキラキラ光るものがペテロたちの方へ降りてきた。それは次第に大きくなって形がはっきり見えた。すべてがクリスタルのように透き通った六頭立ての馬車だった。

馬車から降り立ったのは眩いばかりに光輝く女神だった。
「私はミューズです。あなた方にはご苦労だけれど、まだしていただくことが残っています。人々の魂は乾いているのです。だから諍いが絶えません。世界中にもっともっと潤いのある音楽を行き渡らせなければなりません。私の手伝いをして下さる方はいませんか?」
「僕が行きます。」と、ペテロは迷わず手を挙げた。
「あんな惨めな生活をする人びとを一人でも減らせるのなら、僕は何でもします。」
「ありがとう、ペテロ。あなたにはいつでも必要な時、必要なだけ、私の力が使えるようにしてあげましょう。」


1756年1月27日、ドイツのザルツブルグの司教お抱えの音楽家の家に一人の男の子が産まれました。幼名ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガング・ティフィルス。誰に教わることなく4歳にして音符を読むことが出来ただけでなくメニュエットを作曲したり、クラビーヤやバイオリンを演奏することが出来ました。1791年、35歳の若さで使命を終えて、この世を去るまで残した業績は驚異的というほかありません。フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、魔笛など歌劇20数曲、交響曲約40、ピアノ協奏曲30、バイオリン協奏曲10、その他の楽器の協奏曲10、バイオリンソナタ20数曲、オルガンとオーケストラのために10、ピアノ三重奏曲8、弦楽四重奏曲20、弦楽五重奏曲7、ピアノソナタ18、他にも独奏曲、レクイエム、ミサ曲などなど。ミューズの子の名に相応しい人生でした。     おしまい
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by 892sun | 2007-11-10 11:46
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この世の仕組み、本当の生き方はもう分かりましたか?地球は次元が変わります。準備は整っていますか?心霊研究家のつぶやきに耳を傾けてください。
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