第36話 或る人生
貧しいが正直で働き者の夫婦に子供が生まれた。きらきらと輝くような深い瞳をした男の子だった。夫婦はたいそう喜んで小太郎と名前を付け大事に育てた。聡明な顔立ち以外はどこにでもいるような普通の子供だったが、小太郎が七つになった時、原因不明の熱病に罹り三日三晩生死の境をさ迷った後、小太郎は神童と呼ばれるようになる特殊な能力を発言させるようになる。
失くしたモノがどこにあるのか言い当てたり、次に何が起きるのか分ってしまったり、病気治しが出来るようになってしまったのである。いわゆる霊能力者である。新聞やラジオなどのない時代ではあったが、たちまち噂は噂を呼んで隣近所の山村から、小太郎に会って相談事やら、病気治しを頼む人が後もきらぬ状態となった。 なにがしかの頼み事をすれば、必ず礼なり報酬としていくばくかの物品やら金銭を置いて帰ることになるから、あばら家だった家もいつのまにか豪邸に作り変えられ小太郎が成人するころには神殿まで建てられて小太郎は新興宗教の教祖の如く奉られてしまっていた。小太郎の行った奇跡やら話した言葉は記録され教義として出版された。神殿に通じる道の両脇には茶屋やら、みやげもの屋らが建ち並ぶ始末。静かな村だったのが繁華街のごとき様子を呈するようになったのである。 しかし、或る日突然困ったことが起きた。小太郎の霊能力がまったく消えてしまったのである。霊能力だけではない、記憶もまた消えてしまって小太郎は自分が誰で、今まで何をしてきたのかさえ思い出せないようになってしまったのである。 これは小太郎の背後霊団の仕業であった。もともと小太郎の霊はすでに成長を遂げた霊であり、再生の段階を終えていたのだが、本人がまだ奉仕し足りない、奉仕についてもっと学びたいという要望を持ったため、あえて最後の肉体生活を選んだのであったが、あまりに物的な欲望に流されて本来の目的から逸脱したため、持って生まれた能力を一時取り上げてしまったのであった。 教祖がおかしくなっても、まわりには支える人物がおおぜい取り巻いている。いなくなっても書かれた教義があれば事足りる。およそ宗教組織などというものはどこもそんなものである。小太郎は記憶も能力もなくなったのに、依然として教祖として祭り上げられていることに嫌気がさしてきていた。本能的にこのままではだめだと感じた。あるいは自分が生まれてきた目的を微かに思い出したのかもしれない。ある夜、誰にも気付かれないようにして、そっと村を出た。 子供のころから、およそ肉体労働などしたことのない身には放浪の旅はきついものだった。しばしば餓えて道端に倒れては助けられた。他人に尽くすことだけを信条としてきた者が尽くされる喜びを知った瞬間だった。そして記憶も能力も少しずつ戻っていった。小太郎はその後も村には戻らず、弟子も取らず一人死ぬまで全国を旅して回った。一期一会、尽くし尽くされる人とのふれあいに喜びがあった。かつて一世を風靡した霊能者は旅の途中の路傍で誰にも看取られず息を引き取ったが、その顔は安らかで満足感に充ちていた。終 ご感想をお聞かせください。 秋色に染まる恋人たち 9
by 892sun
| 2007-11-28 10:49
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